令和7年2月3日㈭ 株式会社アスム 代表取締役執行役員社長 福原 和人 様 宗次ホール 代表 宗次 德二様 今回の生涯青春インタビューは、弊社のお客様である資生堂創業家5世代目であり、株式会社アスム代表取締役執行役員社…
№106 クラシック音楽が紡ぐ仕事と人生の喜び

令和7年2月3日㈭
株式会社アスム 代表取締役執行役員社長 福原 和人 様
宗次ホール 代表 宗次 德二様
今回の生涯青春インタビューは、弊社のお客様である資生堂創業家5世代目であり、株式会社アスム代表取締役執行役員社長 福原和人様と、弊社とは長年親交させていただいている宗次ホール(愛知・名古屋)代表であり、カレーハウスCoCo壱番屋(以降ココイチ)創業者でもある宗次德二様の共通点、「クラシック音楽」についての対談企画となります。
東京・広尾にある株式会社アスム様の新本社ビルを訪問させていただき、併設する音楽ホール La Salle F ( ラ・サールエフ) にてスタインウェイ&サンズ のグランドピアノをバックに福原様と宗次様にクラシック音楽が紡ぐ仕事と人生の喜びについて語りあっていただきました。
サプライズで福原社長が奏でてくださったピアノはとても素敵で、同席させていただいた弊社スタッフも贅沢な時間を過ごすことができました。

関根 クラシック音楽に触れたきっかけと、そこから得た喜びや変化をお聴かせください。
宗次様 私の生い立ちはとんでもない人生で、高校へ入る直前までろうそくで生活しているような極貧生活を送っていたんです。高校に入ると米屋さんと豆腐屋さんでアルバイトをして、全部自分で賄えるようになって。そんな時父親がガンで亡くなり、母と6畳一間の生活となり電気を誘引しました。母親が同僚から譲り受けたテレビで17歳の時にたまたまやっていた唯一の音楽番組『N響アワー』から流れてきたメンデルスゾーンの『ヴァイオリンコンチェルト』のヴァイオリンの出だしの見事な美しい旋律が、琴線に触れて大きな衝撃を受けたことがクラシックとの出会いです。
福原様 私は、元は科学者で企業経営をしていた祖父(資生堂7代社長 福原信和)がクラシック愛好家で、クラシックが流れている母屋の応接間で祖父と過ごす時間が多かった子供時代を過ごしていました。
指揮者になりたかったという祖父の話を聞いて、自分も一時期は指揮者になりたいと思っていましたね。指揮者になるために色々な楽器に触れようと思いピアノをはじめとしてヴァイオリンやチェロなども学びました。
オーケストラの中でたくさんの奏者の中心にいる指揮者の姿は、自分の中で常にヒーローみたいにかっこよくて 今でも企業経営をする中で目指すべきリーダー像の象徴であるという感覚をもっています。
関根 宗次様はココイチを創業され、まさに365日・24時間仕事に全心全力で打ち込まれ、趣味や交友などに使う時間はほとんどない中で、クラシック音楽の位置づけはありましたか?
福原様は資生堂勤務からアスム代表取締役社長へと大きな転機を迎えられ、責任ある経営の中でクラシック音楽の位置づけとはなんでしょうか。
宗次様 18歳で社会人となり、不動産会社で営業をしていましたが、「不動産屋でクラシック聴くのは、おまえぐらいだよ」とよく言われながらも、休みの日は聴いていました。初めてレコードを買ったのは21歳の時。ヴィヴァルディの『四季』で、何度も聴いていました。ココイチ創業前の喫茶業をしていたころはお店で好きなバロック音楽をかけたりはしていましたが、ココイチを創業した時は仕事に全力を注いでいましたから、53歳で引退するまではクラシックを封印していました。
引退の直前に乗った飛行機の中で、三大テノールのパヴァロッティの『連隊の娘』を聴いて、またクラシックを聴こうと一気に情熱がよみがえりましたね。
本屋で1万8700タイトルっていうA4の分厚いCDのカタログを見つけて、銀座の山野楽器で「これ全部、聴きたいんです」「演奏家は問いませんから、1ページから全部、送ってください」と言って、段ボール5、6箱ずつ、5、6回に分けて送ってもらって、ほとんど聴きました。
福原様 クラシックがよみがえった瞬間は私にもありまして、学生時代に若者が好きなロックやポップスなどの音楽をたくさん聴いた中で、X Japan の YOSHIKI さんのつくるメロディーにとても惹かれたんです。YOSHIKI さんの音楽のルーツがクラシックだと知り「クラシックって良かったんだな。自分は好きなんだな」と思いました。
ただ、大学以降はしばらく楽器演奏からは遠ざかっていました。スポーツをはじめ様々な趣味にトライしながら現実的な職業として研究者を志し、資生堂に研究者として入社することができました。研究者からキャリアをスタートしたことで、論理的に物事を捉えながら時にクリエイティブな発想を持てるようになったと思います。
入社後、27歳でフランスに駐在しました。仕事は大変でしたが、日本と違って夜に飲み会もありませんので、休日は時間に余裕がありました。そこで、ピアノをもう一回触ってみようかなと思ったのです。You Tubeで聴いて「いいな」と思った曲を弾いていた程度ですが…。
あるとき、ラフマニノフの曲を練習していたら、それが壁伝いに聞こえていたらしく、マンションの上の階のご婦人が「素敵なラフマニノフですね」と声をかけてきてくれたのです。
日本だけの文化ではなく、世界共通というところに魅力があると思ったのが、クラシックの世界。この経験が、クラシックを知っておくことで様々な人とコミュニケーションを取っていけるという自信にもなりました。これもクラシックがよみがえったきっかけの一つですね。
関根 宗次様は素晴らしい後継者・浜島社長に経営を託され、私財を投じられて日本一稼働率が高いクラシック専用ホール・宗次ホールを建設され、多くの音楽家が演奏しクラシック音楽の普及と若手演奏家の登竜門・育成に尽力されています。
更に芸術やスポーツの分野で夢や目標を持つ人たちへの奨学金や支援を長年にわたり継続されています。クラシック音楽を通じての社会貢献のあり方をお聴かせください。
宗次様 53歳の時に退任して、ただの人になりました。
そして、引退して何をやろうかと預金通帳を見た時、これは自分のお金じゃないな。皆さんの手を借りて得たお金。だからこれは社会のために使おうということで、NPO法人イエロー・エンジェルを立ち上げました。
NPOを新設するときに法人名を考えるにあたって、いろんな活動をしている人を応援するエンジェルになろうとイエロー・エンジェルになりました。
楽器の貸与は「これは差し上げます」というのではなく「お貸しします」です。若い演奏家さんはなかなかホールで演奏する機会がありませんので、そういう機会を作って差し上げたいという思いと、気軽にクラシックを聴いていただくことで愛好家を増やしたいという思いがあります。それによって、優しい街づくりに多少なりとも寄与できるのかなと思っています。
だから、私がNPOを通じてクラシック音楽の世界でやりたいことは「若手の演奏家さんの機会をつくること」、「愛好家を増やすこと」ですね。それをやろうとするとホールの稼働率を高めようという発想になっています。
ホールでの演奏曲目は、基本クラシックとしています。クラシックを広めたいとの思いからやっているので。
関根 福原さん、日本で宗次さんのように、ずっとこういうふうに支援をされているかたは、そういらっしゃらないですよね。
福原様 私が知る限り、日本のクラシック音楽業界において、そこまで貢献されている方は聞いたことがありませんし、大変尊敬しています。それと、イエロー・エンジェルのコンクールの賞金の手厚さも破格で、演奏者の方々にとって本当にありがたいのではないでしょうか。
関根 福原様は資生堂が創業以来培ってきた文化資本・美「見えないものをみる」という無形資産価値を如何に継承するか常に思索し、取り組まれていると存じます。アスム新本社ビルにもその強い想いが込められており、資生堂が一番大事にしてこられた無形資産価値とクラシック音楽、本物の豊かさについてお聴かせください。
福原様 私も代々続いているファミリービジネスとして社会にどうやってこれまでのご恩をお返しできるかということは常々考えております。自分たちの事業でしっかりと稼ぐと同時に、そういった社会へのお返しをしていくというのは2軸としてやらなければいけないと思っています。というのも私の父 (アスム会長 福原有一) も色々な活動をしていまして、クラシックではないのですが、例えば小唄とか長唄の邦楽のような日本伝統文化の支援や、児童養護施設の支援などに力を入れています。これから先企業活動を継続する上で、社員と一緒に素晴らしい才能をお持ちの方を応援していく風土を醸成したいと思っています。その中で私たちは銀座の歴史に注目したんです。創業の地銀座の歴史はこれまで3回壊滅的な危機にさらされていて、1回目が明治の大火(1872年)、2回目が関東大震災(1923年)、3回目が東京大空襲(1945年)。いずれも焼け野原になって、そこから復興した歴史を持っているのですが、そこの先人たちの功績をもう一度、大事にできればいいなと。何を考えたかというと、それらの年に生まれた最高のヴァイオリンを探そうってなったんですよ。
単に有名な銘器を所有して貸そう、ではなくて、自分たちの企業、歴史、ファミリーに関連付けられる何かがあれば、それはイコール、みんなで共有できる無形資産になるんじゃないかなと思ったので、実際には1872年と、1923年の二つを皮切りに探してみようと思いました。これが、我々独自の観点でヴァイオリンを所有しようと思ったきっかけです。
今の時代、私たちに歴史があるからと言って簡単に稼げる時代ではないですし、事業体として、しっかりビジネスをやっていかなければならない。でも同時に、公益性、公共性を重んじた事業、あるいはフィランソロピー (社会の課題解決のために、主に企業が取り組む活動) も みんなで考えていくことが非常に大事になってくると思います。
資生堂初代社長が「物事はすべてリッチでなくてはならない」という言葉を残しています。当時は物質的にも豊かな時代ではありませんでしたが、この言葉にはそれだけでは語れない「心の部分」の豊かさも時代に先駆けて求めようとしていた初代の想いが込められています。
今は、昔と比べれば物質的には豊かかもしれませんが、誰もが加速する時間の流れの中で忙しくしていますね。そのような中で、私たちが心の豊かさをどこに求めるのかというと、私は、自分自身を見つめ直すことや、自分のルーツを見つめ直すことだと思っています。そういった時間をつくることが心の豊かさにつながるのではないでしょうか。
資生堂がこれまで提供してきたのは、化粧行為を通して自分自身を見つめ直す豊かな時間であると私は考えています。そのように解釈すると私たちがクラシックを支えることによって、人々が伝統的な文化に触れ、人間が長く築いてきた先人の哲学や知恵に触れる、また、自分のルーツを再発見する豊かな時間を提供できるのでは?と期待しています。

関根 宗次さんは今日初めて福原さんと こういう形でお会いになって、お話しされていると思いますが、どんなふうに写りますか。
宗次様 スタートから真逆の人生を歩まれていますし、芸術に囲まれた生活というだけでも、ちょっと他の社長さんとは違いますもんね。そういう意味もあって、経営も芸術活動も誠実に真面目に取り組んでるんでしょうね。
誠実、真面目じゃないと、長きにわたってはいい人生、送れないですから。
福原様 私は人生のゴールは何かと言われると非常に抽象的なのですが、お墓に入ったときに先祖に褒めてもらえるかどうかを一つの基準にしています。それは恐らく、いくら稼いだとか会社をどれだけ大きくしたとかではなく、もっと根本的な人としての生き方を全うできたか だと思います。
関根 最後にお二人から、今日のテーマ。『クラシック音楽が紡ぐ仕事と人生のよろこび』について思うことをお聴かせください。
宗次様 15歳で運命的出会いのクラシックによって、引退後こんなに素晴らしい日々を送ることができて本当に幸せだなと思います。そして今、それが仕事となって毎日、素晴らしい演奏家の演奏をじかに聴かせていただいています。
私は一応曲がりなりにも経営者。そのくくりでは断トツで一番、生演奏のコンサートを聴いていると思うんですよ。
自分が応援している演奏家さんが世に出たり、頑張ってやっているのを、しょっちゅう見聞きすることができてね。こんな人生って、そうそうないだろう・・・ と思っています。
本当ラッキーなことで。これからも、お客様をお迎えするのが楽しみです。2007年にスタートして3月29日で18年。お客様に対して優しさ、親切、思いやり、これだけはどこにも負けない断然1位のホールです。
今、飲食業を始めた25歳のころのあの感激がよみがえって、それが今、元気の素ですね。うれしくてしょうがないですよ。
福原様 クラシックって、なんでクラシックって言うのかなっていうのを考えます。古いという意味だけで言うと、オールドでいいはずです。クラシックとオールドの違いって恐らく、もう少し本物みたいな、オーセンティックなイメージがあると思っていて。
例えば、今、私たちが聴いている現代の音楽を孫の世代まで、それがいいものなんだよってことを伝えられるかって難しいと思うんですね。だけど、100年後、200年後の子どもたちがベートーベンとかモーツァルトを知らないとは到底、思えない。だからこそ、クラシックはクラシックであるなっていう感じはしますね。そうして伝承されていく、その音・・・。何百年も前にできた音楽を、そうやって伝承する人たち。その営みを、私たちが応援してることにロマンと誇りを感じます。
私は、まだ、これからもっと頑張らなくてはいけない世代なので、少しでも宗次さんのやっていらっしゃることに近づけるようにビジネスを頑張って、そして、クラシックに関わることも、さらに追求していきたいと思っています。
関根 昨年、初めてアスムさんの新本社ビルのオフィスと、このホールにご案内いただいて、演奏していただいて、びっくりしました。
そのときに宗次さんと福原さんお二人がこのホールのスタインウェイ&サンズのピアノの前でクラシック音楽を語っていただいたら、素晴らしいんじゃないかと思いました。それが今日、本当に実現しまして、思った以上に素晴らしいお話になりました。
ありがとうございました。

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