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№91 「買 う 心 同 じ 心 で 売 る 心 心に寄り添う店舗づくり」
令和3年4月12日(月)
角上魚類株式会社
代表取締役社長 栁下 浩伸 様
首都圏郊外を中心に、大型鮮魚専門店『角上魚類』を展開し、破竹の勢いで売り上げを伸ばしている角上魚類株式会社──今回は、代表取締役社長の栁下浩伸様に、創業者であるお父様・栁下浩三会長とのエピソードも交えながら、角上魚類のビジョンをお伺いしました。
漁業とともにあったわんぱくな幼少期
──栁下社長の生い立ちから、是非お聞かせください。
生い立ちなんて、全然普通の人と変わりませんよ(笑)。しいて言うならば、海育ちでしたね。角上魚類の本拠地、新潟県長岡市の寺泊に生まれて、自宅兼会社の裏手がすぐ海だったので、小学生の頃は学校から帰ってはすぐに海に遊びに行く生活を送っていました。田舎で周りに何もなかったので、海で遊ぶしかなかったのです。
角上魚類が発足するまでは、私の実家も卸専門──船を持っている網元だったので、子どものころは10人くらいの漁師さんたちと、家で一緒に食事をとっていましたね。また、よく遊んでいた砂浜にある番屋で、漁師さんが網の手入れをしているのをすぐそばで見ていた記憶もあるので、今思えば、身近に漁業を感じながら育ってきた幼少期でした。
父の浩三会長は、今だから丸くなりましたけれど、私が子どもの頃は本当におっかない人でした。わんぱくで悪さを働いていた私の自業自得なのですが、何かあるとすぐに手を上げて、叩かれた思い出しかないな(笑)。
特に思い出深いのが、時代劇で『ねずみ小僧』が流行った時があって、ガキ大将だった私は近所の子どもたちを連れて、近所の屋根から屋根へ飛び移って遊んでいたんです。
そうしたら、子どもが1人屋根瓦を突き破ってしまって……私はすぐに下に降りて、何もなかった素振りで家に帰ったのですが、どうしてか父はそのことを知っていて「おめえ、何してんだ人んちの屋根、穴開けたろ」と殴られたのをいまだに憶えていますね。私は私で「俺、やってないよ」としらを切ろうとしたのですが「おめえが先頭切ってやってたんだろう」と、バレていましたね。
また、当時の子どもたちはご飯を食べる時にテレビアニメを見るのが好きだったのですが、浩三会長は知っての通り阪神ファンなので、野球以外のテレビはつけてくれませんでした。阪神戦があればテレビで見て、そうでない時にテレビをつけていると「うるせえから切れ」と、短波放送に切り替えられて阪神中日戦をやっているのを聞かされて……本当、毎日毎日お通夜みたいなごはんで、子どもながらに苦行でしかありませんでした。
学校では前の晩のアニメの話題でもちきりになるのですが、そのせいでまったくついていけませんでしたね。逆に、会長がいない日は好きなテレビを見れるのがうれしくて、和気あいあいと食べていた記憶があります。
中学高校では、部活を転々としてきました。小学生のころから野球をやっていましたが、中学の終盤にはもう飽きてきていたのか、高校では当時流行していた軟式テニスを始めました。一時はすごくのめり込んで、中越大会にまで出場するほどでしたが、途中で飽きてしまって退部しました。飽き性なんですね、多分(笑)。そこからは帰宅部で、勉強も大してせずに遊んで暮らしていました。
バブル期、築地への出向
大学は埼玉だったのでずっと関東で暮らしていましたが、就職を機に一度新潟に戻る予定でした。予定していた就職先は角上魚類とは全く関係のない業種だったのですが、ここで転機が訪れました。そのころちょうど角上魚類は小売業として多店舗化し始めたところで、浩三会長から「築地の方で勉強してくれないか」と声をかけられて、私はそれを承諾したのです。
それから3年間、築地の東市(築地魚市場株式会社)に、角上魚類からの出向という形で働いていました。
当時の市場は、バブル全盛期で給料がものすごくよかった時期でした。しかし、私は出向という立場だったので、新潟の方の安い給料しかもらえずカツカツ……どれくらい違うかというと、私が手取り15、6万円だったのに対して、同期は30万円くらいだったんです。食事は社宅で出ましたが、飲みに行くときには先輩におごってもらう毎日でした。
労働条件も過酷で、朝の1時に起きて、昼の1時くらいに帰る生活──12時間ぐらい平気で働くような環境で、休みは日祭日と、たまに水曜。今でも「よくやってたなぁ」と自分でも思います。周りの先輩たちに恵まれて、かわいがってもらえていたのが救いでしたね。
そんな築地での3年間の経験で、最も学びになったのが『干物文化』でした。約30年前の当時、寺泊の方では海が近い分、干物には強くなかったんです。他の地域から干物が入ってくることはありましたが、寺泊で干物が作られることはほとんどありませんでした。新潟ではしらす干しすらもほとんど見かけることがなかったのに、築地にはしらすだけでも10も20も種類があって驚きました。実際に食べてみて、干し方や魚の大小など、様々な要素でかなり食感が違うんだなと思いました。こういったことは、新潟ではなかなか勉強できなかったことだと思うので、あの時築地に出てきてよかったな、と思っています。
出向後、一時角上魚類を離れる
3年間の築地への出向を終えた後は、新潟には帰ったものの、すぐに角上で働くことはありませんでした。「やりたいことがあるから」と浩三会長に話し、証券系の会社に勤め始めたのです。なぜかというと、出向時代、あまりにも給料が安すぎてしまったので、新潟の中でも給料の良い証券系に憧れがあったのです。また、大学から通しで7年間新潟に帰っていなかったので、地元の友人も恋しくなっていたのでしょうね。
申し入れをした時には、もちろん浩三会長は激怒しました。それはそうですよね、角上に知識や技術を持ち帰るために出向させたのに「やりたいことがあるから」なんて。ただ、最後には「自分で勝手にやればいい」と許してくれました。
直営小売への転換点・川口店の立ち上げを担当
証券会社に2年勤めたころ、浩三会長から角上魚類に戻ってくるように言われました。「うちもいよいよ本腰を入れて小売りをやりたいから、帰ってきてくれないか」と。
当時、角上魚類のフランチャイズを埼玉県の八潮や鶴ヶ島に出していたのですが、だんだんと売り上げが大きくなっていくうちに指示が通らなくなり、品質面で角上ブランドを維持できなくなっていたのです。その状況を腹に据えかねて、自前で埼玉に出店しようとするタイミングでの呼び出しでした。
浩三会長の申し出を受け入れた形で、首都圏の一号店である川口店の立ち上げメンバーとして角上魚類に入社しました。平成5年の9月のことでした。
スタートアップのメンバーはとても少なくて、社員だけなら20名弱、パートも合わせて40名いかないくらいでした。現在はアルバイトも含めると100名以上が所属しているので、その半分以下と、本当に人が少ない状態でやっていました。
首都圏の方で直営店を出店するのは初めてで、知名度もない状態だったので、最初はお客様が来るか心配でした。ただ、ありがたいことにオープン直後からお客様に恵まれて、毎日のように来て下さる方がどんどん増えて、朝からひっきりなしに入店がある状態でした。休む暇がないほどで、嬉しい悲鳴が上がっていましたね。
毎週水曜日は定休日でしたが、それ以外は働きづめの生活。今では労働基準監督署に怒られるかもしれませんが、1日当たり14時間くらい働いていたかな。1人でも休めばパンクするような人員で回していました。
会長も見るに見かねて、翌年以降は徐々に、繁忙期の年末前には本社や高崎の方から人を送ってくれるようになって余裕が出てきましたが、最初の1年間は少し辛かったですね。休みの日なんかは食事のほかは寝て過ごすような、そんな疲れ方をしていました。
当時は本当にがむしゃらにやるしかなかったので、とにかくその日その日をやりきって、一日一日を暮らしていくような感じだったのを覚えています。『頑張る』というよりは『やるしかない』という心境でした。
ただ、このゼロから川口店を立ち上げた経験は、今振り返ればとても良い経験になったと思います。
角上魚類に対する幹部としての意識の変化
──川口店の立ち上げという貴重な経験から、現在に至るまでのご自身のターニングポイントについて聞かせてください。
10年前、浩三会長の弟である先代の専務が亡くなった時に、私自身大きく意識が変わったなと思います。
私は当時常務だったのですが、それまでは、言い方は悪いですが正直「専務も会長もいるし、ある程度やっていればなんとかなるだろう」という気持ちでいて、自分の常務という立場をそこまで重々しく考えていなかったのです。だから、あまり自分から率先して前に出ていくような感じではなく、控えめな姿勢で常務をやっていました。
そんな中、専務は開店当時から浩三会長の右腕になりながら二人三脚で角上魚類を築き上げてきた方です。彼が亡くなった時、会長自身もどうしていいのかわからないような、落胆していた様子を見て、私の心は大きく揺さぶられました。普段はなかなか不安そうなところを見せない会長なので、あの時「何とかして父の力になってやらなきゃいけない」と感じたことを、今でも強烈に覚えています。父を、会長を支えられるように、もっと自分がしっかりしなければいけないと強く感じました。そこが大きな転機でしたね。
会長は決断が早い分、幹部がそれをくみ取って組織を動かしていく必要があります。それを率先してやってくれていた専務が亡くなったことで、なんとか会長の意向に沿えるような形でやっていかなきゃいけないな、と決意したのです。
角上魚類の成長の原動力
──角上魚類様は、新規出店のスピードは決して速い方ではないのに、既存店の売り上げがずっと伸び続けていることで成長していらっしゃいます。普通だったら、既存店が継続的に伸びるなんて、なかなかあり得ないと思うのです。この原動力はどこにあるとお思いですか?
やはり社員ですかね。それが一番の要因ではないかと思います。
角上魚類はあえて新規出店していないわけではなく、出店できるタイミングがあれば店を増やしたいとつくづく考えているのですが、店舗の規模や駐車場のスペースなどを考えるとなかなか良い土地に巡り合えずにいました。ただ、今思うのは、そうして思うように出店できなかったのも、社員の育成という面ではメリットになっていたのではないかということです。
結局、お客様と相対するのは『人』です。角上魚類の社員一人一人、パートさん一人一人が、お客様に真摯な姿勢で向き合ってやってくれているから、これまで週1の来店頻度だったお客様が、週2回になり3回になり……そうやって既存店の売り上げが伸びてきているのだろうな、とつくづく感じます。ですから、何をやったというよりは、社員がちゃんと成長してきてくれているのが、各店舗の売上続伸の原動力だと思います。
そして、社員の成長を促しているのは『社心』……「買う心 同じ心で売る心」とそれを実現させるための『四つの良いか』……「鮮度は良いか」「値段は良いか」「配列は良いか」「態度は良いか」と行動指針だと思います。
これを徹底してやっているのが、一番お客様のためになっているからこそ、またご来店いただけているのではないかと思います。
──社員の立場から見て、どうですか?
千野様 社心・四つの良いか・行動指針の三つこそが、角上ブランドの柱だと思います。その柱がすごくシンプルで、ぶれないんです。会長や社長が、それらをだれにでも簡単にわかりやすく説明してくださるので、全員が同じ方向に向かって突き進むことができている。そこが肝なのではないかと思います。
──今はコロナだからできていないと思うのですが、社長・会長が社員の皆様と一杯やったり、ゴルフを楽しんだりする──そんなフラットな社内環境も、お伺いする限り社員のモチベーションを保つ一つの要因なのではないかと思うのですが、いかがですか?
そうですね。角上魚類は堅い会社ではないので、飲んだり食べたり、ゴルフや野球をやるといった業務外のコミュニケーションが、いい方向に働いているのではないかと思います。
角上の社員は素直な人たちが多くて、楽しむときは楽しんで、業務中は言ったことをちゃんと真摯に受け止めて行動してもらえるので、本当にありがたい限りです。
入社から5年経過すると、会長がポケットマネーでハワイに連れていってくれる制度もあります。ツアーではなく、会長が全てご自分でセッティングする、本格的なものです。皆喜んでくれますし、「いい思い出になったね」と言ってもらえます。
すごいな、と思うのは、30、40人を束ねて連れて行って、一人一人の「あれやりたい」「ここ行きたい」といった要望を全部叶えている点。コンダクターになればいいのにと、私はいつも思うのですが(笑)。
SNBと2年間取り組んだ5Sの効果と今後の展望
角上魚類は5Sに取り組むまで、売上さえ取れていれば、事務所や店舗の整理整頓ができていなくてもいいという考え方でした。
最近は店舗を巡回する際、事務所を覗いても整理整頓がちゃんとできているんです。見た目が気持ちいいだけではなく、定物管理がちゃんとされていることで、皆の仕事が楽になっています。
今までは「あれどこにやったっけ?」とモノを探すのが仕事の一部になっていましたから、どこに何があるのかがはっきりわかる──そういった基本ができるようになってきているのが見ていると伝わってきて「うち、良くなってきてるな」とすごく感じます。
──5Sに実際に携わっている社員の皆様はどう感じていらっしゃいますか?
千野様 新日本さんには、まるで角上魚類の一員のように各店舗を巡回していただいています。指摘事項もお客様目線なので、意識からだいぶ変化が出てきているなと思います。
早瀬様 最初のころは、どうしてもアレルギー反応がでていました。というのも「整理整頓よりも、お客様の対応が先」つまり『売上優先』という感じだったのです。今は逆に、5Sをしっかりすることによって、商品を作るスピードや、レスポンスも早くなるということにだんだん気づき始めてきたな、と感じます。整理することの気持ちよさも感じていますね。
大津様 事務所の整理の部分はかなり定着してきていますね。2年目になると多少崩れている部分も出てきますが、社長や営業部長からご指摘をいただくことで、また整う部分が出てきています。
今年からは、整理に特化して取り組んでいくことになっています。特に『水の使い方』の整理は、社長から今年の課題としてご指示いただいています。
環境変化への対応
──ここ最近のコロナの影響はいかがですか?
店舗運営において、お客様の信頼──つまりお客様にとって安心安全と思える環境や品質は大前提です。そのような中で、新型コロナウイルス感染症の流行は、お客様にとっての『衛生』の重要性を爆発的に引き上げました。
これは、もともと角上魚類が取り組んでいたHACCPにも通ずる話です。HACCPも含め、今後は衛生管理をもっと厳しくやっていかなくてはと思っています。もう『衛生管理』は、食品に携わる者としては、今後確実についてくるノルマ、重要なキーワードになると捉えているからです。お客様に「角上はおいしいだけじゃなくて、安心して食べられるね」という感情を提供するのが、目下の一番の目標です。
また、コロナも悪いことばかりではありません。外食の自粛の影響か、客層が広がりました。特に、これまで角上魚類に来ていなかったような若い夫婦連れの方が増えました。「外食が難しいなら、自宅での食事で、少しでもいいものを」と考える方が、角上魚類の新たな客層として加わっているのは、どの店舗に行っても感じますね。
これまでは中高年世代が客層の中心だったのが、こうして年代層が広がっていく──世の中、魚を食べる文化がだんだん衰退してきているという割には、まだまだ伸びしろがこんなにもあるんだなと……私自身驚きながらも、希望をもらっています。
──話は変わって、最近漁獲量の減少や、そもそも魚が獲れる場所が変わってきているといった、漁業の環境の変化はどう捉えていらっしゃいますか?
漁業を取り巻く環境の変化は、大きく2つに分けられます、一つが、日本国内特有の後継者不足。もう一つが、世界的な温暖化による魚の生息地の変化です。
まず後継者不足ですが、日本では特に、少子高齢化で漁師の方が引退されても後継者が不足していて、そこに魚がいてもそれを獲る担い手が年々少なくなっているという問題があります。本当に小さな、家族経営しているような漁師は、後継ぎがいなければもう船を手放して辞めていくほかない状況で
す。
温暖化による影響では、水温が高くなることで魚の生息地がどんどん北上してしまう問題があります。今までであれば九州で揚がっていた魚が、今は東京の方に来ていたり、逆に今まで日本で獲れていた魚が北上した結果、日本では揚がらなかったりと、様々なところで影響が出ています。最近では、秋刀魚の漁獲量減少が話題になっていますね。
これらの環境の変化は、魚が仕入れられなかったら成り立たない角上魚類にとっては大きな問題です。それに対応するために、今はひたすら浜を回って商品の提供元の開拓をしています。当社の商品部が、日本海側は青森から鳥取まで浜をすべて一巡して直接お願いして回ってきました。次は太平洋側です。千葉から北に向かって、総当たりしています。なぜこのように一つ一つ訪ねてまわるかというと、魚を獲ることができても、コストの問題でトラックの用意ができないために流通網が狭まってしまっているところが少なくないので、それを開拓しようということです。角上側でトラックを手配することで、浜と良い関係を築きながら量も価格も安定的な供給を得られるので、これを第一に取り組んでいます。
新日本ビルサービスの評価と期待すること
新日本さんと知り合えたことで、角上魚類もようやくスタートラインに立てたのかなと思います。今後ともびしびしと指導していただきたいです。
5Sから学べることは、まだまだいっぱいあるのだろうなと思うのです。だから、まだ「ようやくスタートラインに立った」という実感しかないのです。ですから、店舗だけではなく、うちの営業部も企画部も、どんどん指導していただきたい。当社もできるだけ早く吸収できるように、レスポンスよくやっていきたいと思っています。
今後は、ただ単に「売り上げがいい」とか「お客様がたくさんいらっしゃっている」という部分だけではなくて、お客様から見て 「角上魚類はちゃんとしているな」と安心して買い物できるような環境が、一番必要なのだと思っています。角上魚類はそれを目指していくので、是非、それを一緒に作り上げていってほしいです。
仕事と人生で大事にしていること
悔いのない人生を生きるためにも、健康に仕事をしながら、色々なことにチャレンジしていきたいと思っています。
一つ目の健康についてですが、私は常々、何をするにしても『健康が一番』だと言っています。体が一番の資本ですので、自己管理は今後もやっていかなくてはと、つくづく感じているのです。これは何も私一人の身体だけの話ではなくて、従業員一人一人の話です。このコロナ禍で、体調管理の重要性がより浮き彫りになりました。仕事をするにあたっても、商品ひとつ提供するにあたっても、健康でなければできません。社員みんな、一人一人が健康に仕事をやっていただきたいなと感じています。
次にチャレンジですが、これは最近、決意を新たにする出来事がありました。私は今年53歳になるのですが、この間、仲の良かった同級生の友人が、がんで亡くなってしまいました。この間まで一緒に元気に飲んでいたのが噓みたいに、急に。命は本当にはかないものだと実感した出来事でした。その彼は「やり残したことがたくさんあった」と言い残していました。その言葉を受けて、無理できるうちにやれるだけのことをチャレンジしようと考えています。
「やっておけばよかった」と後悔するよりは、やって失敗した方がまだやり直しがききますから、前向きにチャレンジしていきたいです。
角上魚類の今後のチャレンジ
一つは、自前の物流センターを作る予定です。そこを拠点に、流通のネットワークを広げていこうと思っています。そうすることで、物流のコストも削減できるので、お客様により良いサービスを提供ができると思っています。これからクリアしていかなければならない課題も多々ありますが、物流のコスト削減は、私の構想の中で重要なものです。
二つ目が、人材の育成を伴った新規出店です。先日、幹部会議があったのですが、そのときに一番はじめに挙げたのが人材育成でした。目的は新規出店。できればこの秋にもう1店舗出せるような勢いで、急ピッチで人材を育てていこうと思っています。今春から店舗統括課長が4名増えて10名になり、店舗ごとの管理能力はかなり高くなっています。管理職を育ててきたこれまでとは逆に、これからは彼らにもっと重点的に人材育成にあたってもらい、今後の角上魚類の柱になれるような社員を育成してもらいたいです。
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