2024年8月2日㈮ 株式会社ピルポ CEO 稲垣 太一 様 弓道に打ち込んだ中高時代と入院生活で掴んだ人生観 私は名古屋生まれ、名古屋育ちの生粋の名古屋っ子です。地元は名古屋の覚王山というところです。 地元の小学校に…
№95 「地域社会と共に紡ぐコミュニティ 愛と笑顔に包まれた 記憶に残る商業施設を目指して」
令和4年4月6日(水)
西松地所株式会社 代表取締役社長 森田 潤 様
ハレノテラス 館長 倉持 典子 様
森田社長のプロフィール
―森田社長の生い立ち、学生時代のエピソード、西松建設へご入社の経緯と社会人として学んだこと、その中で特に大きな転機になったことなどお聴きかせくだい。―
私の出身は東京の墨田区です。大学生時代は、あまり熱心に勉強するタイプではありませんでした。アルバイトも結構やりまして、建設現場にも行きましたね。
体力だけは付けておかなくてはと思い、初心者でしたが、柔道の同好会に入りました。厳しい同好会ではありませんでしたが、それまで対人競技をしたこともなかったので、当たり前ですけど、試合に出ると畳にたたき付けられ負けるんですよ。投げられて負けることの口惜しさから、夏季休暇中は、アルバイトが終わったその足で柔道の総本山である講道館に通いつめる日々でした。
教えてくれる方は赤白帯の高段者で、その道ではとても有名な方ばかりでした。ある時、稽古が終わり、ある先生が、姿三四郎の歌を歌いながら稽古場を出ていくんですね。まるで映画やドラマのように。そんな雰囲気も稽古に通う楽しみの一つでした。
建設会社に入るきっかけは、自分が働いた結果が目に見える形になるものづくり系の企業に興味を持っていて、社会に役立つものを造る建設会社を幾つか受けようかと思っていたんです。その中で西松建設の面接官がおおらかに迎えてくれて、しかも、その場で入社を「いいよ」なんて、まさに漫画の「釣りバカ日誌」のような雰囲気の運命みたいな有難いご縁で入社しました。僕は昭和57年の入社なんですが、オイルショック後のちょうど採用が増え始めたときの年で、技術系も合わせて80人程が入社しました。
入社して事務系に配属され1年ほどが経ち、最初に行った現場が山梨県清里のちょうど真下にある大門ダムでした。プレハブで職住一致のほぼ飯場のような現場に4年ほどいて、現場の資材購買関係や経理など一通り全部やりました。
その後、管理部門の経理業務に携わりましたが、再開発事業やPFI事業のサポートをしているうちに、君はそっちのほうを専業でやれという話になり、営業に異動になり、都市開発営業に本格的に携わるようになりました。
営業での最初の案件は、横浜市の戸塚駅西口再開発のための仮設のショッピングセンターをPFI事業で行う案件でした。私が商業系で実際の関わりをもったのはここが初めてでした。すべて地元の方のお店で構成され、ナショナルチェーンのお店はありません。
普通の商店街の方が「ビルに入る」というと、かなり大変ですよね。甘味屋さん、お蕎麦屋さん、生鮮三品のお店、街のちょっとした雑貨屋さんや洋服屋さんなど商店街が丸ごとビルに入るようなショッピングセンターでした。
これらのお店を、出店の場所決めから始まり、補償の調整をしながら内装工事の負担を調整し、オープンしてもビルでの営業の調整などいろいろな場面に対応させてもらい、いい勉強になりました。
このような企画、建設、運営までをとおした経験をすることで、自分がいる会社が顧客から何を求められているのかを意識するようになっていきました。
若い頃は、求められることをきっちりとできることが、自分の役割だと思っていましたし、それを目標にしていました。仕事に慣れてくると余裕ができてきたのでしょうか、仕事と仕事の間の隙間みたいなものに気づくようになりました。仕事を進める時に不協和音が生じるような時がありますが、自分はそんなときに仕事が円滑に回るような役割が果たせればと思うようになりました。仕事はいろいろな繋がりで成り立っていることが分かってきたのだと思います。また、会社での常識は小さい世界であり、外の世界をもっと広く見なければとも思いました。そのため、できるだけ広く社会に関わる仕事に携わりたいと思うようになりました。
建設会社の仕事は作りっぱなしのような印象もありますが、出来上がった建物の運営、管理、また権利者の方の生活再建などにも関係させてもらう機会を得て、建物を作って、お引渡ししてそれで一旦おしまいではなく、後の継続的な生活が成り立つのか、それに対し自分たちは何ができるのかを考えるようになりました。
今、不動産関係の仕事をするにあたっては、社会や地域と継続的にかかわっていくことが顧客との関係ではとても大切であると考えています。これは不動産開発でもあてはまると思いますが、運営や管理においてはより重要なことと思っています。
西松地所代表取締役社長への就任
西松建設の本家筋は岐阜県で、創業は明治の初めでもうすぐ150年になります。法被(はっぴ)を着た人工出しから始まって、明治時代は全国に鉄道が広がっていきましたから、地方でいろんな鉄道工事があり、西松建設は九州、四国で名を上げたそうです。
大正から昭和の初めにかけて、満州や朝鮮に進出し、当時東洋で一番大きなダムも造りました。
戦争が終わってから始まったのが、米軍の基地工事でした。
それが過ぎると高度成長時代に入っていきますから、当然、国内の高速道路、新幹線、ダムなど様々なインフラ工事が増えてきました。
昭和30年の半ばぐらいからは香港やシンガポール、タイを中心とした東南アジアに進出しました。香港の地下鉄はかなり造っていますね。あまりご存じないかと思いますが、木本正次の『香港の水』という小説があって、その小説の基になっています。戦後、しばらく香港でも水不足の時代があったので、水の需要に応えなければならない中、ダムを造って、水を香港の街中に引いてくる話です。かつては豪快な、ドラマチックなエピソードが結構多かったですね。
海外進出が落ち着き始めてくると、国内のほうに重点を置くようになりました。当初は土木系が多かったのですが、昭和40年前後ぐらいから世の中の求めに応じる形で建築系の仕事が多くなってきました。その延長線上で、前述のように都市開発の話が出てきて、私が西松建設で再開発に携わるようになったのが、今から20年ほど前のことです。
西松地所の前身は松栄不動産という会社で、グループの再編をする中で西松地所という名前に変わり、西松建設の資産管理だけでなく、運営管理にも積極的に注力していくことになり、たまたま私が携わらせてもらうことになりました。私は、自分が感じていたり、意識していたことをやらせていただける、そういう意味では、非常にありがたい話だなと思っております。
現在西松地所は、創業から50年を超え、親会社である西松建設の不動産資産を管理する会社としてPM(プロパティマネジメント)、BM(ビルメンテナンス)、サブリース、保険代理業務を行っています。営業エリアは親会社が全国規模であるため、発展途上ながら、東京を中心に関西、札幌に拠点を置いています。
建設から運営管理まで顧客目線で地域に様々なサービスを提供できることで、相乗効果があると考えています。特に運営管理に携わることで、未来の西松建設の顧客に対しても大変効果があると思っています。西松地所が保有する建物に関する技術的知見、対応力によって顧客に対して有用なサービス提供ができると考えています。また、会社の成り立ちもあり財務体質も健全に維持されています。
ハレノテラスの開発経緯
ハレノテラスは、さいたま市東大宮の島町区画整理事業において調整池機能を担うシールドトンネル工事を施工させていただいたことから関わりをいただき、区画整理地区内の中核となるにぎわい創出エリアの事業コンペにヨークマート様と商業施設の応募を行った結果、現在に至っています。
当初からこの場所が新しくできる街区になることもあり、生活密着型ショッピングセンターを目指してきました。テナントもすべて埋まり地域の方々の生活利便に寄与する施設であると思っています。ハレノテラスを利用する地域の皆さんが、例えば子供さんが大きくなった時にハレノテラスで育ち、ハレノテラスが記憶の断片に残るような施設でありたいと意識してきました。
特に目の前が小学校ですから、ハレノテラスでやっていることを子供達が毎日見ている、生活に入ってきていると思っています。以前、商業コンサルの方と話していたのですが、子供の頃の記憶は、私でしたら、デパートの屋上みたいな世界でした。
だからこそ、地域の方々にとって、ハレノテラスがそういう存在であれば、それは非常にありがたい話です。要するに、ある程度年齢がいったときにアルバムを見返してみたら、そこにハレノテラスがあったというストーリーでありたいと考えています。
ハレノテラスにおける次のステージでは商業環境の変化や生活サイクルの変化に対応できるよう変化し続けることを拒まない施設にしていきたいと考えています。また、社会的要請であるSDGsを強く意識していきたいと思います。
今春、開業5周年を迎えることができ、ハレノフェスティバルを開催し、お客様への感謝と共に私たちの関りも改めて見直す機会にしたいと思います。
倉持館長のハレノテラスへの想い
地域密着で、地元に根付いていく施設を目指しております。この2年間、コロナで非常に振り回されていました。巣ごもり需要が高まると、ハレノテラスのようなショッピングセンターは売り上げが上がっていきます。皆さん、外出しないので、埼玉県内、さいたま市内でとどまるため、売り上げは非常に順調に推移をしていきました。一方で、イベントはさいたま市の指導に従って中止や店舗の時短営業もあり、暗い影が落ちたという印象です。
売り上げは好調でしたが、課題として、ハレノテラスとして何ができるかを、この2年間、自問自答しながらやってきました。昨今、SDGsという言葉が取りざたされています。
このSDGsを意識した商業施設によるにぎわいの場をつくって、地域創生の場にしたいということを考えています。
一つめは、ハレノテラスを近くに感じていただくこと。地域との連携イベントや街の問題解決、例えば、ハレノテラス周辺では、公民館が非常に少なく、かつ、今、公民館がコロナで閉鎖してしまって集まれる場がないといったときに、会議室やひだまり広場の貸し出しをさせていただきました。また社会貢献として、保護猫、保護犬の譲渡会の会場として提供しています。特にコロナ禍で捨て猫、捨て犬が非常に増えたことが社会問題となったことを受け、今まで月1回だったのを、月3回開催しています。
ハレノテラスだけ儲かれば良いのではなく、どのような貢献ができるかを考えています。地域の飲食店がコロナで営業ができなくなり、有志の皆さんがテイクアウト専用のwebサイトを立ち上げてもなかなか認知が進まないと困っていました。そこで、ハレノテラスにキッチンカーやマルシェで出店して頂いたところ、もともと地元で良く知られている飲食店だったので、午前中に売り切れてしまうほど好評でした。
二つめは、ハレノテラスがある街、東大宮。ハレノテラスは便利で楽しいを皆さまに提供し、お客さま目線でのショッピングセンターの在り方を追求したいと思います。見沼区はさいたま市の中で2番目に65歳以上が多い街なので、駐車場と共用通路の間にバリカーの設置の工事等を行っています。新日本ビルサービスの皆さまにお願いしている清掃は、お客さま目線で見たときに、この施設は清潔だな、居心地がいいなという施設環境を目指しています。また警備も、お客さま目線で立っていただいたときに親切な警備だな、話しやすいな、という関係性が防犯につながるため、そういったところを意識しています。
三つめは、ハレノテラスでのびのび働き続ける。ES、働きがい、働きやすさの追求です。私たちは他の多くの商業施設様と違い、テナント会費は頂いていないので、できることは限られていますが、ハレノテラスで働く80%以上が地域の皆さんで、パートさん、正社員として、ハレノテラスが働きやすいという施設を構築していきたいと思います。
新日本ビルサービスの評価と期待すること
ハレノテラスが5周年を迎えることができたことも新日本ビルサービス様と共に施設を作り上げてきたおかげであると、関根社長様はじめ、皆さんに感謝しています。
関根社長の熱い気持ちが社員の皆さんにも浸透しており、いつも感服しています。皆さんがそれを受けた形で、一生懸命、働いていただける、ご協力していただけること自体にすごく感謝しているんですよ。だから、ここまで来たのも、まさに御社と一緒にできたからだと思っています。
新日本ビルサービス様は、県内のウニクス様をはじめ私たちから見ればエリアNo1の運営管理を行っている企業です。求めるところと考え方も、どこかでクロスしたり、一致したりするところができていると思っています。御社の多くの商業施設での実績と、いろいろなご経験や事例を教えていただきながらパートナーとしてこれからもご指導いただきつつ、一緒にハレノテラスと、この街の次の街になるところを育てていきたいと考えています。
西松建設様と西松地所様の今後のビジョン
昨年度、コロナ禍のなかではありましたが、新規事業として京都でタッセルホテル三条白川、タッセルイン河原町二条というラグジュアリータイプのホテルを直営でチャレンジしています。私どもとしては、地域、地元ともコミットしたい、建設業が行うサービスとは違うサービス、エンドユーザー向けのサービスを行うことを通して、本当のサービスとは何なのかということを追求していきたいという意味で挑戦しました。
『タッセル』は『紡ぐ』とていう意味なんです。関係性を紡ぐ――このコンセプトをブランド化したい。商業施設と同じで、やはり、ホテルも外から来るお客様ばかり見ていては駄目だと思います。地域と共生するような宿泊施設になっていかないと。観光にとっての経営資源は、ロケーションや自然ですが、それを自分たちのためだけに勝手に利用するようなあり方は違うのではないかと感じています。
今回、新たな事業に取り組むにあたり『経験価値の追求』という言葉を使っています。経験価値というコト消費により付加価値を高める――それはハレノテラスも同じだと思います。だからこそ、いろいろなことをお客さまに経験していただくことが、顧客満足に繋がると考えています。
直営で行うことは、面白いところがありまして、アルバイトの一人一人まで顔が見えるんですよ。サービスの細部までみんなで作り上げ、顧客満足に、それを素直に結び付けられるようになれないのかなという意味で、私はチャレンジだと思っています。
お食事はシンプルな朝食だけです。タッセルホテル自体が、そもそも20室しかなく、調理人を雇うほどの規模ではないんですね。ですから、焼き立てパンとサラダと珈琲。お泊まりの方がご自分にあったサービスを地域で楽しんでいただきたいと思っています。
私たちは「経験価値の追求」というスローガンをかかげ、モノに起因する社会価値だけでなく、これからより広がる「コトに起因する社会価値」にもコミットしていくことが私たち企業の社会的価値と考えています。これも私は単純に考えているのですが、ものを売るだけの世界じゃない世界を地域とのつながりの中で、もう少し表面に出していかなくてはならないと思っています。いわゆる単純なイベント祭事的な販促ではなく、それ以外のコミュニティーの形成ですね。自然と出来上がるコミュニティーと意識してつくるコミュニティーの融合は、当然、あると思っています。
それが例えば、ハレノテラスだけで完結するのではなく、エリアを広域化する。極端に言えば、商店街みたいな所があれば、商店街も含めて、また、地元の商工会議所、商工会を含めて、エリア全体で地域を作っていく。この活動を醸成させて商業施設も地域の皆さんも共に繁栄してきたいと思っています。私たちは、オフィス、商業施設、ホテル、寮ビジネスそれぞれがサードプレイスと言われる「居場所」「生活拠点」を総合不動産企業として提供し、お客様の満足に対応していくことが企業の使命と考えています。
西松建設は建設会社として全国区ですので、各地にお客様がいらっしゃいます。そういったエリア的な相乗効果もあると思います。先ほども申しあげましたが、私どもが管理を行う際に建物に対する技術的な知見や対応力、建築に関わる法律的な内容に対処できることは、非常に強みだと思っています。私どもは、企画、建設、運営をトータルで提供できるワンストップサービスという一気通貫のサービスを心掛けています。実際、西松建設の人財が出向してきていますので、相乗効果としては、一番強いところかなと思いますね。
仕事と人生において大事な事
ああしておけば良かったのではないか。こうすべきではなかったという後悔の連続で、幾つになっても未熟だなと思っています。でも、この年代になってくると、多少の失敗は、まさに人生のエピソードみたいな話なんじゃないのかなと、あえて思うようにしています。しかし、そうはいってもスピード感を持って、今、できることはやらなければいけません。ただし、やるからには、自分で責任を取るつもりで、その覚悟を持たなければいけないと思っています。
私は、勝海舟が好きなんです。いい加減さがあるけれど、やることはやっているところがあって。とらえどころがないと思っていますが、その勝海舟が、「やるだけのことはやって、あとのことは、心の中で、そっと心配しておけばいいじゃないか。どうせなるようにしかならないよ。」って、ちょっとちゃかし気味に言っています。そういう言葉を見つけて、結果は結果だけど、勝海舟が言う言い方では、長ずるところだとか、信じるところを行えば、それで良いということかなと考えています。
考えることは無駄ではないし、当然、必要なのですが、やってみないと分からないところは、多少、失敗したっていいじゃないかと割り切ることが必要です。そういうことを若い人ができるような環境をつくっていかなくてはなりません。
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