№97 「日 本 の ビ ル 経 営 とPM業界の現状と未来」

さわやかインタビュー
熱意溢れる昌平不動産総合研究所・瀬川浩平社長様

令和 4年 10月 11日㈫

株式会社昌平不動産総合研究所 代表取締役社長 瀬川浩平 様

瀬川家の歴史と瀬川社長の生い立ち

― 瀬川家の歴史を知ることが、昌平不動産総合研究所創設の原点に至ることだと存じます。代々医家の家系で培ってきたものと、「近代土木界の最高権威」とも言われた、母方の曾祖父・古市先生との関係とその中で醸成されたもの。
 瀬川家の歴史と瀬川浩平社長の生い立ち、ご経歴をお聴かせください。―

 瀬川家の祖先は、大阪の高槻藩の侍医だったのですが、藩主の江戸詰めのときに合わせて上京しました。現在の当社の本社のある御茶ノ水に来たのは1902年頃で、6代目の昌耆(瀬川昌耆1856―1920 医学者 瀬川小児病院初代院長)が瀬川小児病院を開業したのが始まりでした。瀬川小児病院は、小児専門の病院で、恐らく私立の小児病院では日本で一番最初だと思います。小児専門の病院はこの近隣も含めてあまりなかったですから、全国から患者さんが来たみたいです。
 病院を建設後、御茶ノ水に瀬川家は住んでいたのですが、関東大震災で御茶ノ水の病院が焼けてしまったものですから、本郷にある義父の古市さん(古市公威 1854―1934土木工学者 初代土木学会会長)の家(現 瀬川家住宅 登録有形文化財)に同居させてもらい、しばらくして古市さんが別の所にお住まいになるということで、その場所を譲り受けました。
 古市さんの建てた家ということで、能などの彼の趣味を生かした造りになっています。2003年に国の登録有形文化財に登録され、現在は一部を当社の事務所として使っています。

 当社は、1950年に主に瀬川小児病院の維持管理のために設立されました。1973年に瀬川ビルに建て替えまして、本格的なビルの賃貸事業を開始しました。小児病院自体は当然、建て替えの期間中も患者さんがいらっしゃったので、建て替え工事を1期と2期に分け、1期をやっている間は一
部で診療をやって、1期の工事が終わったら診療する場所を移して、診療を続けながら建て替えをするというようなことをやっていました。
 瀬川ビル建設後に今の会長(瀬川昌輝氏 瀬川浩平社長のお父様)が務めていた会社を辞めて昌平不動産に入ったのですが、当時はビル業というとオーナーが強い時代で、何もしないで家賃収入を得るビルオーナーもいた中で、せっかくビル賃貸業をやるなら真面目にビル経営をやろうと思い、瀬川ビルと1988年に建設した本郷瀬川ビルの両ビルを中心に現在まで事業を展開しています。

 私は、子どもの頃に関しては、瀬川家にそれほど影響されることなく育ちました。本郷の家に行くこともあまりなかったですし、スポーツ等をしながら自由気ままに過ごしていました。
 就職活動の際も両親からは何も言われていなかったので自分の好きなところを受け、氷河期のタイミングでしたけど、運よく住友林業に入社しました。住友林業では、最初2年が住宅の部門にいて、その後3年目から5年間人事部にいました。その後シンガポールに4年ほど駐在し、帰国した後も、海外事業部の部門に4年間いました。
 住友林業でずっと仕事をするつもりでしたが、シンガポールから帰国して仕事も充実してきたというところで、家族周りで「どうするんだ」みたいな話を色々と言われるようになりました。
2回目の駐在の内示が出てもおかしくないというところもあったのですが、父も70歳を過ぎていましたし、クリニックを経営していた叔父からも、「よろしく頼むよ。」と言われたこともあり、誰かがやらなきゃいけないんだろうと思い直し宿命と感じて入社を決意しました。

昌平不動産総合研究所の継承

― 入社当時の心境や瀬川社長ご自身の考え方、異業種から入社されて感じられたビル経営業界の印象や課題などお聴きかせください。―

 2015年に当社に入社したのですが、それまで父から会社について聞くこともほとんど無かったので、入ってみると前職とは仕事の進め方等のギャップは相当あり、最初の2,3年は結構悩むこともありました。賃貸ビル業界についてもギャップを感じるところがありました。貸しビル業界は老舗企業が多い業界なわけですが、規模や立地の違いはありますが沢山の会社がある中で、当社のテナントサービス始め、色々取り組んでいることが割と当たり前だと入社して暫くは思っていました。意外にも他の会社は必ずしもそうでもないと感じています。
 私個人は、2021年の社長就任後も父の方針を基本的には引き継いで会社の運営をしていますけど、ビル賃貸というのは、結局はサービス業という認識なので、そういう目線でテナントにいかにサービスを提供して、快く入居してもらって、一日でも長くいてもらえるか。このようなところを心がけてやっています。
 またビルだけでなく、ビルの周辺や街全体への貢献も当社は重視しています。瀬川ビルはJR御茶ノ水駅の前にあり、駅前は人の流れは多いわけですが、単純に通ってもらうだけではなく、街の魅力を伝えていければ滞留者も増えて非常に良いのかなと思い、加盟する商店会に積極的に協力しています。
具体的には、街のお祭りが先日あったのですが、ビルの一部を資材置き場として場所を提供したり、スタッフの休憩所に使ってもらったりしました。通りは飲食店が多いですが、お祭り当日は通りは歩行者天国となり、多くの方々がお越しになり、街のにぎわいを感じることができました。

昌平不動産総合研究所の理念、業務内容

―20年前からPMに特化した米国視察研修を継続されており、昌平不動産としての独自性があります。米国自体の変化についてどのような点を感じられているか、お聴きかせください。―

 会長が入社した頃は、ビル経営自体を教えてくれる人がなかなかいなかったので、当時からビル経営の考え方が進んでいたアメリカへ行き、彼らから色々と教えてもらいながらビル経営を進めてきました。会長は何度もアメリカに行って色々な話を聞いて勉強したようです。アメリカの経営の仕組みを丸ごと輸入するのは難しいですが、エッセンスや肝心な部分を活かしていくことはできるということで、これまで色々な取り組みを行ってきました。
日本のバブルが崩壊してビル経営が上手くいかない中で、アメリカのビル経営手法を学んでいた会長が今の日本生産性本部のマネジメント研修のコーディネーターをしていたのですが、しばらくして研修が終わったときに、会社でやったらいいんじゃないですか、みたいな話に社内でなり、それで2002年に『第一回米国プロパティマネジメント視察研修』を行うことになりました。

ニューヨークのビルメンテナ ンス会社Perfect Building Maintenanceにて  CEOのマーガー氏との1枚

― もう20年経つのですね。恐らく米国のビル経営も今は変化しているのではないですか。―

 私もそれこそ2015年から入社しているので、それ以降のことしか分かりませんが、よくコロナ前から言われているのは力のあるテナントが変わってきていることです。以前は金融機関や弁護士事務所が中心でしたが、最近は若いテック系の会社が凄い勢いで成長してきてます。マーケットの主流が変化してきており、コロナ後のアメリカには行っていないので分かりませんが、基本的にその方向性は変化していないと思います。
 オフィステナント自体も世代交代が進んでいます。直近でアメリカに視察に行ったときは、フィットネスやラウンジなどのアメニティーを充実させるビルが多かったのを目にしました。若く新しいテナント世代の自由なワークスタイルに対応していかないとテナントが入居しないので、新しいビルだけでなく、古いビルも大規模な投資を行って、設備を整えていくというのがアメリカの流れとして強く感じました。あとはハード面だけでなくソフト面での取り組みも日本と米国では違いがあるように思います。アメリカのプロパティマネージャーは意外と細やかな気配りをされているなという印象です。例えば、テナントが入居した日を入居記念日として毎年1回プレゼントを用意して渡していました。お金は全然かかりませんが、やってもらうとすごく嬉しいんですよね。そのような取り組みをアメリカは結構やっています。こうしたテナントさんに喜んでもらえる取り組みは持ち帰って自社でも実践しています。
 日本とアメリカでは、契約体系も違うので全部持ち込むことが出来るというわけではないですが、お客様に対するアプローチの仕方などは、アメリカの方が進んでいたので、上手く持って
帰れば、テナントさんの満足度が非常に上がるのかなと思いました。研修のコーディネーターの方が良く言われるのは、「大体アメリカで起こることは、いずれ日本で起こる」ということです。私もその言葉を実感しています。特に本郷は若いテナントさんが多く、彼らの中にはシリコンバレーに留学している人もおり、向こうのワークスタイルを導入しています(普通のイスや机で仕事をしないで、ソファなどで仕事をした方が知的生産性が向上して良いアイデアが出て、ビジネスも伸びていく)。そういう感覚の人はこれから日本でもますます増えていくのではないかと思います。そのような変化が日本でも既に起きつつあって、そこに対応していかなければいけません。
 コロナでテレワークも増えましたが、私が現時点で聞いた限りの話では、アメリカではなかなか従業員がオフィスに戻っていないようです。一度テレワークで慣れてしまって問題が無かったら、別に戻る必要はないんじゃないか、という人が結構多いからかと思いますが、エリアによって差はあると思います。全体の傾向として最終的にはオンラインの限界も今後見えてくると思うので、テレワークと出社のハイブリットになるのではないかと考えます。ご参加頂ける会社様次第ですが、今後の動向を掴む意味でも、研修を続けてアメリカのPMの取り組みを見ていくことは大事かなと思っています。なるべく能動的にテナントさんにアプローチして、このビルだからこそ、を感じてもらう取り組みをしていくために必要な情報になると思います。

― テナントさんへの貢献の一つに、コンサルティングも業務として行われていますよね。―

 そうですね。会長が前から言っていたのは、「業界に貢献しましょう」ということでした。うちの場合は自ら営業をかけてコンサルティングをやります、みたいな感じではやっておらず、いろんなご縁で相談事があったところに対しては対応していくというスタンスです。我々の持っている考え方や取り組み方を共有させてもらいながら、関わる方々の微力になればというところで考えています。コンサルティングを行う中で、逆に学ぶことも結構あります。そういう意味では、内にこもっていると刺激が無く、どうしても思考も止まってしまうので、色々な方と話しをして、色々な取り組みをやられている他社さんを見て、情報交換を行っていくことは当社のような中小ビル事業者にとってはとても大切なことだと思います。

インタビューが盛り上がり、日本のビル経営とPM業界のビジョンを共有できました。

新日本ビルサービスの評価と期待すること

― 当社の照井、村瀬を始め、多くの若手社員が、瀬川社長、清宮様の親身なご指導、貴重なアドバイスをいただき、尚且つ多くの有難いご紹介を賜り、PM業の基本を身に付けることが出来
ました。心から感謝申し上げます。
 瀬川社長から見た、新日本ビルサービスの率直な評価と今後に期待することについて、ざっくばらんにお聴かせください。―

 新日本ビルサービスさんの印象は第一印象から変わっていないですが、非常に元気な社員の方が多いと感じます。これは関根社長をはじめとした皆さんの影響だと思いますが、明るいということは非常に大事だと思います。明るいのが嫌だと感じる人はいないと思うので。明るすぎると嫌だっていう人はいるかもしれないですけど。伏し目がちで暗くなると、そういう空気が伝染するものですから、そういう意味では明るいということは経営の価値の1つだと思います。
 今定期的にいただいている社内報も素晴らしい取り組みですよね。関根社長自らが色々と発信をされ、継続していくことは本当に並大抵のことではないと感じます。社内報を編集される事務方は大変かもしれませんが(笑)。それでも企業姿勢として、発信を継続していく姿勢は本当に素晴らしいと思います。最初に申し上げましたが、ビル賃貸業自体もサービス業だと我々は思っています。サービス業という部分の考え方を御社は非常にしっかり持っていらっしゃると感じていますので、先ほどお褒めの言葉をいただきましたけど我々からしても、御社との本質的な部分でのつながりを感じています。

 また現在、ビル自体の総括的な委託業務をお願いしているわけではないですが、時折お願いしている工事にも素早く対応していただいて非常に感謝しています。弊社の場合は中小ビルですから、どうしても大手との違いはあります。中小ビルのメリットとしてはオーナーの顔が見えるということです。大手より意思決定が早く、素早い対応ができるというところは大手のように莫大なお金をかけて設備投資を行うことが出来ない中小ビルが大手に対抗し得るところだと思っているので、御社にはお願いした時に非常にレスポンスが早いことは発注側という立場からしても非常にありがたいですし、これは是非継続してお願いできればなと思っています。
 最後に、私個人としても、今の事業を通じて地域に貢献するということを大切にしているものですから、御社でも既にやられているとは思いますが、引き続き地域貢献活動を続けて取り組んでいただくのが良いと思いますね。

昌平不動産総合研究のビジョンと瀬川社長の夢と目指すもの

― 日本のビル経営・PM業において独自価値を創り上げてきた昌平不動産総合研究のこれからのビジョン、瀬川社長の夢と目指すものをお聴きかせください。―

 コロナがあって、今までのオフィスの在り方を維持していくことはなかなか難しいと思います。中小ビルのオーナーが、例えばビルをレジデンスに変えるとか、倉庫に変えるとか、中身を変えていくことも増えるかもしれません。思い切って建て替えを決断するビルもあれば大手に売却するビルもあると思います。ただ大事なことは、テナントが全てにおいて、大規模ビルの最新設備等を求めているわけではないということです。

 日本はほとんどが中小企業ですが、大企業が作る大規模ビルが中小企業の受け皿になるのかというと、ならないと思います。大手のビルでも空室に悩んでいるケースもあります。やはり中小ビルのニーズというのは今後も相当程度残っていくと思います。その中での競争を生き残っていくために、変化していくテナントのニーズに対応していくことが大切です。ビルの設備と規模の中でできることは限られていますが、日頃からテナントと接しながら、彼らの中に潜む要望を引き出し、それを地道に対応していくこと。これが非常に大事だと思います。

 例を挙げるとするなら、今年に入って本郷で、雨の日にテナントさんの従業員さんが廊下で転倒し大けがをされる事例がありました。雨用のシートを敷いていたので、テナントさんからも、「こちらの不注意で」と仰っていただいたのですが、我々としては我々の落ち度もあったと思いましたので、コーンと張り紙で注意喚起した上で、後日ビル1Fのタイルの張り替えを実行しました。そうしたら、転倒された会社の社長さんから、非常に感謝していただきました。
 このような意思決定の早さは我々のような中小ビルならではだと思います。
日々の出来事に対してのレスポンスの早さなどで、テナントからの信頼を構築していく。テナントが考えている課題をできる限り早めに対応し、解消していく。できる、できないはあります
よ。ただそういういった取り組みを地道に続けていく。それができるかどうかで結果としての対応力が上がり、生き残っていく術になっていくのかなと思います。
 そういう意味では清掃や警備、設備スタッフとのコミュニケーションは活発にしておく必要があります。ビルの最前線に立っている彼らが気づくことがのちのテナントの困りごとになるので、彼らの気づきをどれくらい拾い上げられるか。これは非常に大事なことだと思います。

 御茶ノ水のビルも古いビルになってきましたので、この間は男女の清掃、警備の控室を全面的に改修しました。本郷では清掃の方に我々から感謝状を渡しました。そういった取り組みにより現場の方々に気持ち良く働いてもらうことで徐々にビル全体が良くなっていって、気づかなかったことにも気付けるようになった。そういう意味では、日々手を抜かず、業者さん、清掃の方などが気持ちよく作業ができる、ビルを好きになってもらえるようなアプローチをしていくことをビルオーナーとして心がけています。
 弊社のビルのテナントは中小企業が多いですが、彼らが大きくなって人数的に無理です、となったらそれはしょうがないですが、それ以外には退去するなんて言わせないぞ、と。それくらいのサービスをテナントさんに対して日々提供していきたいなと思っています。

瀬川浩平社長様を囲んで生涯青春! ! これからも日本のビル経営とPM業界の進化向上に共に挑戦してまいります! !

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