2024年8月2日㈮ 株式会社ピルポ CEO 稲垣 太一 様 弓道に打ち込んだ中高時代と入院生活で掴んだ人生観 私は名古屋生まれ、名古屋育ちの生粋の名古屋っ子です。地元は名古屋の覚王山というところです。 地元の小学校に…
№96「左遷社長の逆襲 宇宙へ!」
令和4年7月28日(木)
キヤノン電子株式会社 代表取締役会長 酒巻久 様
酒巻会長の経営者としての原点
― 酒巻会長の生い立ち、学生時代のエピソード、キヤノン時代のご経歴、その中で経営者として培ってきたもの、マネジメントの真髄として掴んだものを聴かせください。―
あんまり自慢できない学生時代ですね。でも、勉強が好きでした。大学時代に経済の勉強とか、法律の問題も専門家から教えてもらって、それが若いときだから、ひじょうに良かったんです。
本を読むこともとても好きでした。子どもの時から、漫画でもなんでも読みました。ここ最近は読むのが遅くなりましたが、だいたい30分で1冊読んじゃいます。それが特技になっていましたね。経営書とかは一字一句読んでいかないと前後の関係が分かりません。
ですが、僕らが学生のとき読んでいた本は、前後の関係で読めば、大体すぐ読めちゃうものでした。例えば、アメリカの大統領の演説は、動詞読みでぱーっと見て、ここが心臓部だよって、そこだけ読めばいい、あとは読まなくていいって頭の中で整理して読みます。
1967年にキヤノンに入社しましたが、なかなか採用してくれない中でキヤノンが採用してくれたんです。当時のキヤノンは、本当に日本でもトップクラスの人がいっぱいいましたね。
私が一番最初にすごいと思ったのは、三井さんという人です。広島と長崎に落ちた原爆を(何が起こったのか混乱している中で)査定して、間違いなく原爆であると軍にレポートを提出した人です。三井さんの部下がノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんとか、朝長振一郎さんです。
山崎さんという先輩は陸軍の技術のトップを務めた方で、「これからは電卓の時代です。電卓を3ヵ月以内で設計しなさい」って指示するんです。我々はアナログしかやっていないでしょ。
だから、電卓なんかどうやってやるんだよって。そういうのを、物言わずにほんとんど聞かずに、その勉強をしなさない、という感じでした。こういうテーマを結構与えられましたが、そのときは家になかなか帰れず、泊まり込みで、実験や設計をしたことも度々ありましたね。
こういったことは、 “会社で働く者はすべて能動的たるべし”とするキヤノン初代会長が作った、「三自の精神」につながります。自分で考えて動かないと駄目ですね。言われて動くようでは、しょうがないです。三自とは “自覚、自発、自治” のことで、 “自分の立場や役割を自覚し、何事も自ら進んで行い、自分のことは自分で管理する” という意味です。
一言で言えば、 “自分で考えて動け” ということで、そこにあるのはキヤノン伝統の “人材育成の基本は自己啓発であり、仕事の現場こそが人を育てる” という基本思想です。自ら成長を求めない限り、教育の成果は限られる。一つの現場を実際に経験することは10の座学にまさるというのがキヤノンの人材育成の哲学であり、僕たちはそれを叩き込まれて育ったんです。
初代会長の御手洗毅(みたらいたけし)さんは面白い人で、昔、アメリカの占領軍GHQがいたでしょ。そのGHQを(Go home quickly ゴーホームクイックリー)と早く帰りましょうと、これは良い会社に入ったと思ったら「開発の人は残りなさい。あんたがたは24時間労働だと思ってください」って。そう言われると、意外とさぼれないもんです。でも、贅沢もさせてくれました。「おまえ、なにを食べてんだ」、「いつもうどんです」って言うと、「うどんだけじゃなくて、うなぎでも食べなさい」って、鰻重を頼んでくれたこともありました。
今では考えられないかもしれませんが、本当によく働きました。先人の人たちが一生懸命働いてちゃんと基礎をつくってくれたから今がある。今の人達にはそれを感謝する気持ちを持って、技術開発に取り組んでほしいですね。
自分にとって仕事は、自分がやりたいことをやりたいだけで、それだけです。出世なんかどうでもいいやって。もともと出世よりも夢の実現こそが願いで、どこに異動になろうが、どんな仕事を与えられようが、いつもいい仕事がしたい、この分野で第一人者になりたい、そればかり考えて生きてきました。キヤノン時代は、開発、ソフトウエア、システムなどしばしば赤字の部署を任され、「赤字は罪悪です」とか言われて、そのたびに一番をめざすことで立て直しに全力で取り組みましたね。
キヤノン電子の東京本社では現在、時差出勤を取り入れていて、朝7時から勤務が可能です。私も6時にはいつも来ています。社内を全部見て歩いて、そのときには、4~5人は来ていて、「こんなに早く、何時に家を出てくるんだ。」と聞いたら、「でも、仕事が面白いからいいんですよ」と言われました。だから、仕事は面白くして、それでやらせるってことが一番なんだと思います。無駄を出さなければいいわけですから。だらだらやってもそんなの面白くないですよ。自発的にレポートを書いて、朝一に机に置いていく所長もいます。
キヤノン電子社長への就任
(会社はトップの信念で変わる)
― 酒巻会長は1999年3月にキヤノン電子社長に就任され、経常利益率1%実質赤字の会社をわずか6年で経常利益率10%を超える高収益企業に成長させました。
私たちは知らない間に自分で自分の限界・枠をはめて、今まで通りのやり方で仕事をしていることが多いと思います。でも、仕事の喜びや生き甲斐を求める人間の真理は誰でも自分の心の中に持っています。その素直な心に火を点けることが経営トップの役割であり、二度と無い人生において最も大事なことだと思います。〝会社のアカスリ〟で利益10倍!の経営の真髄をお聴かせください。―
キヤノンでは、、VTRの基礎研究、複写機開発、ワープロ開発、システム開発や総合企画など沢山の仕事に従事しました。1989年に取締役、1992年に生産本部長、1996年に常務取締役を務めました。生産本部長は、1つの分野ではなく、キヤノングループの技術を一通り分かってないと務まらないいですね。
キヤノンで、技術畑にいた私が、キヤノン電子の社長に行ってくれとなりました。左遷ですね。私は、キヤノン電子へ行くとき「辞めさせてくれませんか。辞めれば行きますって。クビにしてください。」と言いました。
歴代の社長は、キヤノンに籍を残していきましたが、私は退路を断ちました。それと、キヤノンと比べてキヤノン電子の給料は安いんです。でも、金額じゃないから、面白いからやってみようって。お金は大切ですが、ただ、それだけでは、人間、動かないよと。
キヤノン電子へ行くきっかけは先代のキヤノン電子代表取締役社長の田中正博さんです。
田中さんは文系なんですが、営業のトップにいた人です。評判がいい人で、国内の立て直し後に、ヨーロッパ法人の立て直しに行き、その後、帰国しました。
キヤノン時代に部門予算がない状態のときは、測定器も買えないでしょ。そうすると、田中さんが「うちの予算を使え」って結構使わせてくれて、とてもお世話になりました。人格者で、お金が多少残ってると、研究費で使っていいよって本当に親切でした。
その田中さんが「俺では立て直しはできないけど、酒巻君だったらできるはずだ」って、そう名指しがあって、田中さんの頼みなら、断る理由がないよねと思いました。
私が入った当時のキヤノン電子は、利益率1%台にすぎず、しかも多額の累積負債や不良在庫等を抱え、実質的には赤字経営でした。そこで私は、赤字状態から、世界最高峰の高収益企業になろうと明確な目標を持ちました。具体的に言いますと、10年で売上高経常利益率15%以上の高収益です。(結果として、6年で売上高経常利益率を1%台から10%超の企業に成長させた)
キヤノン電子へ来て最初の1年間は、工場へ行っても、どこへ行っても、1年間はずっとそこで働く人を見てました。それで、誰が使えそうかを人物観察の上で、会社再建のための新しい人事を決めました。
社員にさぼるくせがついていました。それと、物事を隠す習慣がありました。それをいかにオープンにするか、その人を入れ替えるか、また、社員に自発的に働いてもらうことを考えながら改革を進めました。組織の改革、人材の育成には、どうしても時間がかかります。
また、生産効率を上げるためにすべてを半分にしました。人間や労働時間も半分にしろって(TSS 1/2 TSS=Time & Space Saving)赤字の会社を良くするっていうのは意外と簡単なんです。赤字というのは生産性が低いというだけですから。技術そのものというよりも生産性です。やり方を治せば、あっという間に黒字になっちゃうんです。
今こそ本当は生産性をあげなければいけない。製造業もサービス業も同じです。3人でやっていることを2人で出来ないか。そうすれば30%儲かるわけなんです。
プレミアムフライデーは今も継続していて、その日は、社員を2時間早く帰宅させています。取り入れたときは、工場側から「そんなことはできない」と言われました。私は「おまえ、2時間が1カ月のうちで何パーセントに達するって、1.2%だろうと。1.2%だったら、簡単に克服できるじゃないか」と言ったら、「それはそうですね」って。今は誰もクレームを言いません。取り入れて生産性は落ちてないですよ。かえってみんな、一所懸命やってくれています。だから、生産性を上げればよくなるよって、何回も何回も言ってるだけです。そんなに難しいことじゃないんです。黒字にするっていうのは。
だから、やっぱり人間って、本当は誰でもやればできるんですね。それをやってみせるかどうです。どんどん利益が出て、賞与が増えてくると、やっぱり自分たちも働けばなんとかなるんだなって思うのです。
上司のやり方が間違っている場合もあります。部下のほうには勉強するなとか、講習会に行っちゃ駄目だと言って、そういうやり方を続けると、人間って意外と駄目になっちゃいます。そういうことをやる上司の選び方が悪いんです。それを任せた上のほうや人事も間違っています。若い人が、そういう変な上司が来ると、みんな遊んでしまいます。だから、必然的に会社は赤字になります。
宇宙への挑戦!
― 酒巻会長は民間初の宇宙ビジネスへの挑戦をキヤノン電子社長に就任当初から決めており、誰にも言わずに実現への構想をじっくり練り上げておられたことに大きな感銘を受けました。そしてキヤノン時代、上司が語った言葉をいまでも鮮明に覚えておられます。
「これからは複写機の時代です。しかし事業としての寿命はせいぜい30年でしょう。その頃には複写機の代わりになるもっと優れた技術の製品が必ず出てくるからです。それを見越していまから手を打っておかないとキヤノンはジリ貧になってしまいます」
そして、30代になったばかりでキヤノンの長期計画策定のチーフに指名され、30年後を見据えた長期計画をまとめられました。その経験から企業の生存、発展には新規の事業開発が必須と考え、キヤノン電子の社長に就任した当初から、ムダのない筋肉質の会社に再生する一方で、新たなメシの種を見つけて育てる必要性も強く感じていた。
宇宙ビジネスが官需主体で10倍から100倍のけた違いのコストであぐらをかいている日本の現状に大きな危機感と義憤を感じ、キヤノングループの民生技術を最大限に活かすことで、日本の国益になるとの使命感が原動力になっているとのこと。宇宙ビジネスへの挑戦を実現できたのは、キヤノン電子が高収益企業として生まれ変わり「全てを半分にする」を筆頭に酒巻イズムが根づき、「社員が自分の頭で考え、責任をもって行動し、遣り遂げるための主体性の獲得」があったからです。
まさに私たち新日本ビルサービスが目指していることであり、その真髄をお聴きかせください。―
キヤノンの時代に、長期構想の責任者を任された際、私はこれからは複写機の時代だと思い開発に取り組みました。実際、キヤノンは、複写機がなければつぶれていたと思います。ですが、その複写機でさえも、30年すると、必ず新しい技術が出てくると言われていました。
電話・ファックス・ワープロ・パソコンを一つにしたものでタッチパネル方式の画面に触ることで、電話をかけたり、文書の送受信ができたNAVIを開発しました。でも、早すぎて見事に失敗したんです。技術とお金がもうちょっとあれば、維持できるんですが、お金が集まらない。そうすると、結局やめるしかないんですよね。NAVIをきっかけにスティーブ・ジョブズとの交流が生まれ、Next Computerを一緒に開発しました。結局はこれも時代を先取りしすぎて、撤退する事になりましたが、会社には技術と人材が残りました。普通の会社は今の成り立ってる事業、そこに安住してるっていうことが圧倒的に多いです。
今うちの主要製品のドキュメントスキャナーですが、2022年4月、同じくドキュメントスキャナーを開発している富士通の子会社をリコーが買収すると発表しました。そのとき、みんな何にもしないでぼけっとしてるので、「彼らが何が強いかって、どういう技術を投入してくるかを考えて対策しなければ、うちなんか負けちゃうよ。」と、頭のやわらかい若い社員にやらせろと言いました。今、若い人が喜んでやっています。
私は、キヤノン電子の社長に就任した当時から、今の宇宙ビジネス、この構想を既に持っていました。子会社に行って自由にやらせてもらえるんじゃないかと思いました。
私がキヤノン電子に来て20年間でやったのは、新しい技術はないんです。ここ50年ぐらい、もっと正確に言うと70年間、新しい技術は出ていないんです。半導体や、レーザーなどいろんなものが出てきますが、昔からあった技術を量産にしたっていうだけなんです。
例えばロケットが難しいと言ってますが、案外、古い技術を使っているんです。だから、これからは全体の技術を把握している生産技術部門が大切。生産、設計を分けないで、生産技術の中で、工場の中でみんなでつくるように変えていった方が良い。スティーブ・ジョブズなんかまさにそうですよ。彼は新しいものなんか作ったことがないんです。要するに、組み合わせの技術です。
それで、宇宙開発のために資金300億をためようって。赤字をなくして、それから300 億ためたんです。そのために、100個作ったら100個良品が出るような体制にすることを目標にしました。1万個作っても1万個良品がでるように徹底的に訓練しました。ポイントは「勝つための仕組みづくり」で、「生産技術の強化」で不良をなくし、量産ラインで「直行率100%」の生産体制を確立しておけば、ムダがなくなり利益に直結することができる。
だから、いろんな大手のとこから注文をもらって組み立てますが、うちのコストは圧倒的に安いです。中国よりも安いと言われます。(賃金コストは倍近い差があるが、生産技術強化により不良品が少ないため手直しの必要がなくトータルのコストでは逆転する)
民間初の宇宙ビジネスに挑戦すると優な学生とか、この分野で実績を上げている方々が志に共感して来てくれました。東京大学や名古屋大学などからも、いい人が集まってきます。優秀な人が集まるようになると彼らが、数学でもなんでも、あっという間に解いちゃうでしょ。それを見た社員は、彼らのまねをしたい、これじゃいかんと、周りが一生懸命になりますよ。結局、会社全体が活性化してよくなりました。
民間の宇宙ビジネスというのは、今までは官需で行ってきたので、民間と比べ、部品1個100倍するものもあります。民間では1万円で作れるものが100万円したりととても高いです。ですが、人工衛星に実装してみると、最初に壊れたのは宇宙製品でした。民間で大量生産している部品は、宇宙でも通用するんです。やっぱり信頼性の試験を何回も徹底してやってているからです。
民製の部品っていうのは、結構質がいいんです。ですが、未だに民間部品を認めない風潮があります。だから遅れちゃうんです。コンピューターだって、昔は技術的に日本が一番優れていました。
将来的に宇宙事業が日本で伸びることは難しいのではないかと思い、私は、海外も視野に入れています。社員を出張へも行かせています。
ホンダジェットが小型ジェット機で成功したのは、アメリカに行ったからです。
新日本ビルサービスの評価と期待すること
― 16年前に酒巻会長に秩父本社工場をご案内頂き、大きな刺激を受け、経営のあり方を直に学ばせて頂きました。その後、さわやか講演会に講師としてお越頂き、仕事を通じて私たちのメンターとしてご指導賜っています。心から感謝申し上げます。―
上の人間が現場をよく見ておくということが大事です。例えば、派遣でやってる掃除でも、現場の人たちの気持ちとそれが遊離してる可能性あります。
うちに来る御社の人は一所懸命やってくれてます。やっぱり現場へ行って、直接見て褒める。あるいは気付いた点を伝えることが大事です。上のものが見てあげることが、その人を伸ばす一番の仕事なんです。
あと、うちの社員で、掃除の神様みたいな人がいます。彼女の掃除を見て、如何に気持ちを込めてやってるか、ご紹介します。クリーンルームやトイレとか、その人がやると、本当にきれいになるんです。定年になって一度やめたんですが、もう一回出てきてもらいました。今はもう70歳になっていると思います。クリーンルームでもごみがたまるんです。彼女に掃除をしてもらったら、不良が激減しました。
仕事と人生において大事なこと
人生において大事なのは、尽きることない好奇心ですね。それと学び続ける向上心が大事なんです。うちなんか、母親が立派だったんです。小学校のときも高校のときも、うちから山の中を歩いて1時間ぐらいかかります。小学校のときも母親が、「本を全部、置いていきなさい。机の中に全部入れて、そのぐらいのことは全部覚えてきなさい」って。それで、うちへ教科書を持って帰ると怒られたんです。お小遣いをくれないとか。今から思うと、母親に厳しく育てられた経験は役に立ってます。
人の話をよく聞いて、それを理解した上で行動するでしょ。一回メモに書いちゃうと、意外と忘れちゃうんです。良く聴いてそれを全部覚えちゃって、それでやっていく。それが母親の教育です。「家で勉強なんかやってるんじゃない、勉強なんか学校でやってくれば十分だよ」なんて言われました。うちへ帰って家の手伝いで勉強する暇がないから、学校で一所懸命聴きますよ。そういう教育は、昔の人のほうがちゃんとやってくれたんではないかと思います。
それと、とにかく人に会うことが大事なんです。僕らは若いときから全世界を回らせてくれたので、それは得難い学びになりました。あと、本を読むこと、読書も大事です。私は、面白い本はジャンルを問わずなんでも読みます。社長室には『カムイ伝』などのマンガもあります。
面白いですよ。最近はやりませんが、お風呂場で半身浴をしながら読みました。お風呂場で読むのが一番頭に入るんです。じゃあ、僕の部屋を、整理整頓が全然できてない部屋を、ついでに見てってください。
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