№98「大改修時代の未来を拓く 染めQソリューション」

生涯青春 インタビュー
同志である菱木社長、染めQテクノロジィスタッフの皆様と  大改修時代の未来を切り拓いてまいります! !生涯青春‼

令和 5年 2月 7日㈫

株式会社 染めQテクノロジィ 代表取締役 菱木 貞夫 様

菱木社長の生きる力と使命感について

 私は好奇心が強くて発熱しやすい、良く言えば生まれつきかと思うんですが、悪く言えば、飽きっぽくて落ち着きがない。だけど、ちょっと面白いと思う事に対して、すぐ見たくなる、やってみたくなるというのは生まれ付いての特性かなと思うんですね。
 子供の頃の私は、走るのがめっぽう速くて運動会ではいつもダントツでしたね。走るだけでなく勉強もできて、何かの賞をとりますが母親が全然興味を示してくれない。
 そんな自分自身に内在する体質には一つ強い環境がありまして。「この人を母親に選びたくなかった」というような母親だったんですね。子どもの頃からほめられたことがない。皆のお母さんは学校に来てくれるのに、うちの母親は全く来ませんでした。また乱暴な母親で、何をやっても厳しい言葉が返ってくるだけでなく実力行使で「かまぼこ」という指輪をした手でパンチが飛んでくる。普通はそういうので叩いたら、子どもけがするだろうと思うのが親ですよね。押し入れに入れられたり、食事の支度をしなかったりと、普通ではあり得ないですよ。この人は、本当の親じゃないと思って、小学校の時に3回も家出をしました。
 なぜ母親の話をしたかというと、私にある種のエネルギーがあるとしたら、その原点は母親に対する「屈辱感」かなと思うからなんです。「みっともない男が何だ」いう母親の厳しい言葉は今でも忘れられませんね。この「みっともない」という言葉がぐさっと刺さり、「生きてく資格がないんじゃないかな」と子ども心に思いました。加減というのを知らない人でしたので、その厳しい言葉が胸に突き刺さった経験が屈辱感を晴らそうとして、「そんなんじゃねえんだ」という気持ちで、手掛けたことに対しては情熱を込めるというきっかけになったのではと思っています。

人生最大の試練、逆境を如何に乗り越えたか

 父親の仕事を見たら、塗料の大手卸売業で今日はいいけれど、3年先、10年先、親父の商売はどうなってしまうんだろうと思えました。自分が何かで役に立ちたいなと思い父親の会社に入りました。すると図らずも生意気な見通しが当たってしまい、高度成長期になって伸びているにもかかわらず、私が入った頃を境にしてメーカーが小売店とダイレクトで取引をはじめるという横暴な戦略によってどんどん業績が落ち込んでいきました。その経験から「もう人が造ったものになんか頼っていられない。自分が造ろう」と思って、3年ぐらいの準備をして、メーカーを立ち上げました。
 化学の知識も無く、塗料もよく知りませんでしたが、不思議なもので、色々なものが参考になり、知恵のある人、一緒にやろうって言ってくれる人がいてくれて、なんとかしようと思えば、不可能なんてないなという錯覚が生まれました。もしできなければメーカーに頼んで、自分でブランドをつくって、中身を充てんしてもらおうと思いました。最初に何もかもできたわけではないんですが、半分は他のメーカーの売れてる商品をうちの名前に変えました。それも父親の信用のおかげですけどね。
 順調に立ち上げて私もいい気になってたんでしょうね。たまたま頑健だと思ってたのが、救急車で運ばれるほどの激痛で入院しちゃう。3回目の入院のときに自分の側近のスタッフが来て、「社長、大変だ」って。「うん?」って言ったら、誰と誰と誰と4人がつるんで、独立して、テロソン(染めQテクノロジィの前身)の競合会社のメーカーと話を付けて、そこの商品のほうがテロソンで開発したレベルよりも品質が良く、安心して売れる。確かにうちの商品が良くなかった。だけど売り方でカバーして、業績は伸びていた。彼らは営業ですから私のやり方をコピーして。全部お客さん知ってるんですよ。私と側近の経理責任者だけを残して、幹部はみんな辞めて独立して、やられちゃいました。
 それが1974年。私は72年に創業して、3年後に4000万円の月商があったところが、彼らが独立した翌月に10分の1になり、みんな取られてしまい、どう戦っていいか分からない。向こうは商品はいいし、お客様とは旧知の間柄ですから、試練でした。回収したお金で手形を割り引いて、手形を落とすなんていう資金繰りだったんで、倒産っていう言葉が最初によぎったのは、そのときでしたね。

菱木社長の生きる力と使命感をお聞きしました

 1974年にその試練をどうやってかいくぐったかは話を省いて、何とかかいくぐって、また成長始まった。月の売り上げも4000万、5000万ぐらいまで回復して、ミッチャクロンという商品の基となるものを私が作りました。ミッチャクロンという何にでもくっつける技術です。
 技術者を雇い、勉強してもらうように環境を用意して、役員にまでして、給料も私とほとんど変わらないぐらい上げて、スタッフを育てようというつもりでやりました。
 1980年にテロソンは自動車補修という業界では伸びている会社でしたが、それよりすごい会社でナンバーワンの会社の社長から私に連絡があって、テロソンのミッチャクロンをOEMで頼みたいと言う。あそこがOEMで頼みたいということは大量に出るな、ありがたいなと思い、やっと本格的な事業になってきました。
 ところが、それから数カ月後にある日突然、私のスタッフ達が工場を閉鎖してしまいました。正社員は3人か4人しかいなくて、その正社員もいない。パートだけを残して、工場を閉鎖して、その4人は競合会社に行ったことが、後で分かったんですよ。追いかけてってぶっ飛ばしてやろうっていうぐらい、もうそれは何があったか分からないですけど、工場がもう動かなくなってしまい、商品が作れないっていうとんでもない試練です。
 ちょうどそのときに合わせてテレビコマーシャルを2億円ものお金を使って、それも失敗。悪いことが重なるんですね。自分も痔の手術をして、お尻から出血して身動きがとれなくなって。するとみんなが「テロソンは倒産をする」という、状況になりました。
 立ち直るには結局は自分が技術を勉強するしかないと思い土曜も日曜もなく、良き先輩が住友化学に行ってると言ったら住友化学を訪ね、三菱レイヨンに行ってると言ったら三菱レイヨン訪ね、「なぜ樹脂がそういう働きをするのか」「どうしたらいいのか」基本的なことから教えてくれないだろうかと言うと、相手は「はあっ?」と迷惑そうな顔してましたね。
 たまたま私の家内がコミュニケーション上手で、私が工場をなんとかしなければと言ってるときに、電話応対一つで相手からヒントをもらってくれるんです。それがもとで実験をするとかして、混乱を切り抜けて…ということもありましたね。

 自分が研究しだしてから短い時間である種のパテントを開発できました。これも売れるけれども立ち上がりはクレームが出て全部、返品だったんですが、とても売りやすいという声を聞いたんです。クレームが出ないように工夫するのに、半年か1年かかかりましたが、完成したら会社はまた急速に成長しました。
 5年後には年商もそれまで一桁だったのが15億、20億になった。競合のない商品だったので利益率も高い。銀行から経営内容が素晴らしい。融資をするから資産を増やしたらどうだと勧められ、1983年ぐらいから紹介してくれる土地を買って、そうしたら、土地が値上がりしていくんです。
 当然、不動産業者になろうとしわけではないんですが、気づけば私も6、7年の間に35カ所の土地を買って、それらがみんな値上がりして、13の企業グループで総資産は300億円。借金は150億円ありましたが、年間売上が200億円と毎年順調に伸びていました。
 融資攻勢で10億、20億単位でお金を貸してくれる。だけど、私は小心者ですから、買った土地の半分は借りるけど、半分は自己資金でという鉄則を作ってやっていました。だから、会社は経営危機になることはないと思っていたんです。困ったら土地を売ればいいと思っていたのに、バブルの崩壊というのはそんなレベルではなくて。もう10分の1、20分の1にまで土地の価値が下がってしまう。
 そこに経営の誤りもあって、アメリカで、1カ所、2カ所ゴルフ場を造る。それも何億、何十億の利益が生まれる。
オーストラリアにも百何十万坪の土地を買って、山を切り開いて、宅地を400区画、ゴルフ場の建設をはじめました。その途中で住友銀行から融資のストップという試練を受けてからは真っ逆さまに落ちましたね。
 銀行からは、やいのやいのの返済が迫るから不動産の売却をどんどん進めました。でも間に合わなくて、あそこもこれも競売、工場に差し押さえが入る。もうめっちゃくちゃですね。全部つぶれるという噂の中で、社員がどんどん去ってく。それを支えてくれたのが親父で、85歳で体も丈夫で元気でした。ところが、もう間違いなく病院の処方誤りで、万全を期して入院したんですが、院長の「こうしたほうがいい」という処置をやってから意識不明になり亡くなったんです。
 親父が亡くなったときに一番支えてくれた女房が何とか頑張りましょうよと言って、経理をやってたから、資金繰りの矢面に立って、銀行とのやり取りから何から何までみんなやってくれていました。それが、突然、打ち合わせをしてる最中に倒れて。よろよろと倒れたんで、どうしたんだって私は抱きかかえて。その手の中で意識がなくなってしまいました。救急車で運んだんですが、くも膜下出血で、今日、明日の命って。意識を失ってから1週間後、47歳で亡くなりました。もう自分が殺してしまったという思いで。今思えば、私がこの度重なる試練というか衝撃に、なぜ耐えられたのかなと思うのは、一遍に試練が来たからです。
 幸い本業そのものは順調で、生き金を入れれば倒産しないで済むので、何でもいいから金を集めました。おめおめと自分の命を絶つことだけはすまい。やれるだけのことをしようと思いましたね。

▶染めQテクノロジィ全員が研究開発、  イノベーションを担う組織です。

染めQテクノロジィの創業と断トツ経営

 会社が駄目になりそうになったときに、日本の国内でも100人を超える社員がいたんですが、最後に十何人か残ったんですね。もう年齢的に行くところがないからだとか、そんなひどいことを言ってたんですけど、ちょっと時間がたってから、こんな駄目な自分とずっと一緒にいてくれるっていうのに対して、やっぱり、ふっとそれまでの思い上がったこの考え方から、どこ試練を経て感謝っていうか。一緒にいてくれるのか、こういう思いがありましたね。
 だから、本当に役に立つとか立たないとかっていう前に、自分と一緒に歩いてくれる人がいるんだっていうのは、これはとても励みになりましたね。死んだ親だとか連れ合いに対しても、おめおめとしてられないというのもあったけれども、今いる人たちのために自分に何ができるかなっていうふうに考えが変わっていきました。
 それで製品開発も、厳しい資金繰りだとか、あっちこっちに頭を下げてお金を借りに行くという作業を、ずっと続けたんですね。その合間に帰ってきては、実験を繰り返して、これができたらなって言って、できた商品があるんです。それがミッチャクロンマルチと言って、今の主力商品です。それは1996年に開発したんですが、最初の3年間ぐらいはあまり売れませんでした。クレームもありましたし。でもちょうど2000年ぐらいから急速に売れ出しました。
 同じく、ミッチャクロンマルチという商品を開発したことをヒントにして、今の社名である染めQっていう商品を開発することに成功しました。これも従来のペイントとは全然違って、技術的意味ではかなり画期性が強い。だから欠点もあるんですけど、あるマーケットには絶対売れるな。商品とマーケットをつなぐという意識は、私自身には多少の自信はあって、この二つがあれば、いつかは地獄からはい上がれるなと。そんなことをして2002年に60歳で会社の創業をもう一回やろうと。
 試練を経た後で、生き残った自分と周りにいる人たちと、この人たちを大事にしなければと染めQテクノロジィを立ち上げました。

大改修時代のワンストップソリューション

 これも大きなスパンでものを見ると、ポイントは社会が動いてくるときに、社会の明日ってどうなってくのかな、そこに着眼しています。会社の理念にも1番目は、人生の感動を創造しよう。2番目が社会の明日を科学しよう。3番目に感謝の日々を体現しよう。その真ん中に一番、会社の基本方針として、世の中の変化というものに対して目をやって、技術開発に挑もうと。
 そのときに一つヒントになったのが、昔、下町はみんなそうですけど、ここに八百屋さんがあって、こっちに肉屋さんがあって、あっちのほうに魚屋さんがあってというように、お店屋さんがあった。それが今、お店はなくなって、スーパーになっちゃう。やっぱり、卵を買うついでに肉も買えるし野菜も買えるから、スーパーは便利です。だから商店街のシャッターが閉まってしまうし、スーパーはどんどん大きくなる。スーパーはさらにショッピングモールに変わっていきます。この種の利便さというのは、ワンストップソリューションは決定的だなと。
 もう一つは、世の中の今の状況で技術開発していくときに売れる商品を作ろうという考えではなくて、もっとダイレクトに人の困ってることにポイントを置いて開発してみよう。世の中って人間の命を永らえるための研究をいっぱいしているけれど、人間の作った建物とか施設だとか社会インフラは造ったまんまで、それを大事にしよという考え方が世の中にあんまりないな、この研究は遅れてるな。あらゆる建物だって、モノにだって命があるんだと。これを永らえるための研究しようと。
 どんなにいい建物、設備を造っても、翌日から劣化がはじまります。この劣化は止められません。世の中には循環があります。例えば雨が降って、水溜りができて、それが水蒸気で飛んで、空気中に戻って、また雨として降ってくる。水と水蒸気、水滴、それから氷になって循環しています。鉄というのも、元々は鉱石の中にある鉄分を採取して、それを加工して鉄材や鉄鋼材を作って、建物や構造物を造ります。でもその表面は造ったときからもう劣化がはじまり、また粉に戻っていきます。どうしてそうなるのかというと、水と空気と太陽の三要素が自然界の循環を促しているからです。水の中で劣化する、空気の中から酸化して劣化する、太陽で劣化する。実はもう一つの要素があって、菌とウイルスです。これがカビだったら劣化を一生懸命進めて、最後は物でなくしてしまう。
 染Qが研究しているのは、劣化のメカニズムを解明して、その現象をどうしたら変えられるかです。例えば、錆を止めること。世の中は錆で困っています、特に沿岸部に行ったら錆だらけです。錆が原因で弱くなって壊れるものが多いですね。皆さんもご存じの通り、自然界の法則で空気中の酸素と水が結合したら鉄は錆びると決まっています。その手の研究をしても、自然界の法則は変えられません。錆というメカニズムは変えられませんが、錆びるという現象は変えらます。簡単にいうと、鉄板に黄色いペンキを塗って錆止めのペンキを塗る。これで錆の進行を抑えようとする。でも錆は、分子レベルではペンキの下で徐々に徐々に隙間から大きくなって、上のペンキの膜を破ってそこにヒビが入ります。そうすると水と空気が入ってペンキがはがれてしまうというメカニズムです。
 染めQのNKRN66という商品を塗ると錆は止まります。なぜかというと膜が強くて、下の錆を抑え込むからです。厳密にいうと下には小さい錆が残っていますが、膨潤して切ろうとする力を新素材が抑え込み、事実上錆びなくなるという現象です。
 次にコンクリートの例です。コンクリートの劣化は、水と空気が原因です。二酸化炭素と反応して、コンクリートは中性化します。空気に触れると収縮がはじまってヒビ割れして、そこから水と空気が入っていく。すると中の鉄筋も錆びてくる。鉄筋は錆びると、膨潤してコンクリートを割ってしまう。鉄とコンクリートは、最初はとても相性がいい。コンクリートの弱点を鉄が補い、鉄の弱点をコンクリートが補っています。でも時間が経つとコンクリートにひび割れが入り、鉄も錆びて収拾のつかない夫婦関係みたいになってしまう。でも染めQの66という商品をコンクリートの表面に塗ると、水と空気を遮断してくれる。強度もあるので、なかなか劣化しない。そういう研究をして、どんなものでも、劣化、老朽化を防いでいくということです。
 ビルが倒壊するのは、30階建てのビルであれば29階が倒れることないですよ。だいたい下の1階、2階、3階が倒れます。ですから1階、2階、3階の柱が劣化する前に、新品に取り換えればいいという理屈です。でも現実的には、ビルをジャッキで持ち上げられませんから、壊れるまで手の打ちようがありません。でもその柱に、染めQの強度を増す新素材を注入すれば建物を再生・延命することができるわけです。新素材を塗ったコンクリートの強度を大学の研究室や第三者機関で証明してもらっていますが、最低でも20倍性能が上がるという結果が出ています。もしこれが実現できれば、日本中の全てのビルの倒壊を免れることができます。これから私たちの会社は、必ず日本でこれを成功させます。大水が出て、濁流で橋梁が流されることもなくなるし、ビルの倒壊もなくすことができます。
 どうやって、たった100人の会社なのに、この大世界をやったらいいんだ。最初に、いきなり大きな夢を語っても、それを聞いてくれる人もいないだろうし、手伝ってくれる人もいないだろう。小さく、床をやろうと。建物って必ず床がある。日本中の床をうちの技術で補強するテーマを掲げて。それから何年後かに、屋根がひどいな。屋根は折板屋根が老朽化して雨漏りする。スレートの屋根の中にアスベストが入ってると。床をやって屋根をやれば、柱だとか壁だとか当然、染めQに依頼が来る。もう建物全部、施設全部、あらゆるものを全部この技術があって初めて補強できることを、知らしめることができる。だから、売りに行くのやめよう。本当に良かったら、本当に魅力があると必ず人が来る。
 また、人が来てくれるような迎え方を工夫しよう。ささやかだけど染めQ不思議ワールドと銘打って。こんな技術があるっていう空間作ってみようよと。会社も技術研究所で面白くなさそうな顔してないで、よういらっしゃいましたってお迎えしようよ。あいさつ一つから社内のありようから、そんなことを全部をイメージして。最終的には大改修時代が抱えるとてつもない課題・問題は、われわれの技術が根幹になって絶対解決できる、普及できると。

千葉県某市歩道橋(防錆工事)

新日本ビルサービスとのパートナーシップについて

 一番大事なのはパートナーだと。そのパートナーと出会って、その人がこれをわが社の技術だと思ってくれるような会社と提携すればいいんだと。関根社長と会えたことも、その方針の中心になるんですけど。自分たちは100人の会社に過ぎない。そして技術とそれを裏付けるということの証明だけして、それを日本に広めるのには良きパートナーと出会いがあれば、有力な会社はスタッフが優れてる、よくトレーニングされてる、そしてマーケットも、お客さんとの親しい間柄も構築している。だから、そこに技術が結び付けば、もう加速度的に広がる。そういうイメージで有力なパートナーとの出会いを探してやってきました。
 私は初めて新日本さんの社内報を読ませていただいたときに、『生涯青春』、なんて響きが良く、なんて夢があって、言葉一つで活力を生むような、本当に素晴らしい言葉だと思いました。その言葉に象徴されるように、社長とこうして出会えて。私は社内でも言ってるんですが、ビジネスっていうのは売り上げが欲しいし、利益も欲しいけれど、でも一番ありがたいのは、この人との出会いだなと。だから、本当にお会いできたことに、私はとてもありがたいことだと感謝しています。とりわけ、新日本ビルサービスという会社は、社名にも言ってるように、そのサービス業ということに徹してる。
 われわれの技術を普及するときに、何人かの方たちを前にして、私が講師のようなことでお話しするときがあるんですけど、そのときにずっと言い続けてきたのは、これからのビジネスは、全てどんな業種であれ、サービス業に徹することが社会の明日に応える道だということです。われわれは研究者だからいい製品さえ作ればいいって思いがちだけど、そうじゃないんだと。明日に生きる会社は、このサービス業っていうことに徹してる会社ほど、明日をリードする会社じゃないかと、こんなふうに思っています。
 もうそこに社名に言ってるがごとくで、社長の方針が、またスタッフの皆さんのありようが、これはただのビルメンテナンスということよりも、やっぱり明日に根差したサービス業としての考え方が徹してる。そこに一人一人の人間が『生涯青春』っていう心意気に裏付けられてる。そんなところがわれわれにとってみたら、そんな会社とご縁ができたらと願う一番の要因がありますね。
 何でもそうですけど、相性がいいとか悪いとか、あると思うんですね。私は最終的には全ての人とのご縁を大事にしようという考えなんですけど。強いて言えば、やっぱり、さらにその中で相性の恵まれてる関係って、例えば、磁極でもN極とS極と。NとSは引かれ合う。電流もプラスとマイナスが流れるように。本当に私は社長の会社と出会えて、その磁極がこれほどありがたい関係はないかなというふうに思います。
 口幅ったく言えば、うちの技術は新日本ビルサービスさんにとって、決定的に役に立つと思います。また、逆にうちにとっては、例えばヤオコーさんや、ベルクさんを開発するのは大変な時間がかかる。それらがもう友好な関係を築いてしまっている。相手の期待感まで用意してくれてる。そこまで舞台を用意してくれてるところに、われわれが出向かせてもらえる。そういう意味での磁極のつながりが本当に良い縁をいただいたかなと思いますね。
 ぜひ、新日本ビルサービスという会社が、もう建物の維持管理に関して、あらゆるサービスをするお仕事になるだろうと。その中の柱の一つに染めQを入れてもらえたらっていう関係、パートナーになりたいですね。

菱木社長と染めQテクノロジィの大きな夢とビジョン

 やはり、行く先に夢がある、大きな広がりがあるっていうことは、人に活力を生むもとになるだろう。それから、また目の付け方とかそれに対しての分析の仕方に、綿密さも出てくるんではなかろうか。だから、そういう意味で夢とビジョンというのは、出発点において非常に重要だなと思うんですね。
 さっきは一つ、時代の流れとして社会の明日に向かいましたけど、今日を見据えても、例えば、日本の技術がかつては世界をリードした時代がある。しかし、それらが、当時は経済的な後進国と言われた国々が、どんどんそれらを取り入れて、また彼らなりの固有の開発をして、もう世界のマーケットが日本の技術ではなくて、そういうアジアの国々のほうがはるかに大きなマーケットにいるようになった。片やもともとの先進のアメリカやヨーロッパにおいては、次元の異なることへのチャレンジで、インフォメーションテクノロジーのようなものの開発が進んで、世界は大きく動いてる。
 だけど、私はかつてリゾート開発のために世界を回って、いろんな国々を見たり、体験した中で思うことに、やっぱり日本人としての誇りというか、日本ってやっぱりいいなって思うこともありました。日本人の持ってるロイヤリティー、忠誠心というか。それから、緻密な研究するのに、日本人はやっぱり優れているんではなかろうかと。そんなものを生かして、いつかもう一回、世界に発信したいですね。われわれの技術も、例えば自動車が、トヨタであろうと、メルセデスであろうと、スズキであろうと、基本的な機能はもうほぼ同一になった。ブランドイメージが残ってるから違うと言えば違うけど、どこの会社の車も、とても快適。という意味で、世の中のありようが、世界がやや平準化してきた。社会インフラとか巨大な建物、工場、ビルとか、これらも大体、造り方は似てる。ということは、メンテナンスの仕方において、われわれが研究してきたものはそのもとの素材の研究から入っている。建物が丸いか四角いかによって違いなんかない。併せて、工法の研究をして、どんな条件でも、低温であろうと、湿度が高かろうと、なんであろうと。それから短時間でやる場合にはとか。いろんな意味で新素材の研究開発と新工法の開発をしてきたと。
 これらを本当にもうパートナーと出会いさえしたら、必ず世界に発信できる。だから、パートナーの会社ともども、マーケットを日本だけじゃなくて世界に、そしてそれがジャパンテクノロジーの一つとしていつか世界で評価されることができたら、何ていうあほな夢を、現実離れした夢を持っている。
 でもいよいよ、世界最大の資産を有するアラムコのナンバー2の技術者がこの5月に当社にも来てくれます。石油パイプラインの補強工事に世界中のケミカルメーカーを検討し、最終的にテスト導入するのは染めQを含めて3社に絞り込まれています。
 明日、何が起きるか分かりませんね。絶望でこんな夢のような日が来るなんて思ってもいませんでした。だから、また逆に、今日を良き日として、思い上がることなく、いかにこれを積み上げていくかっていうことは大事だなって、あらためて思いますね。新日本ビルさんとお会いできたのは、われわれにとって本当にありがたいことだと思います。

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