№102「会社は掃除と挨拶で蘇る」

講演
ご自身の経験をありのままにご講話頂きました。

令和6年1 月17日㈬

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 徳二 様

〈宗次様と関根社長の出逢い〉
 今回ご講話いただいたカレーハウスCoCo壱番屋創業者 宗次德二様と関根社長の出逢いのきっかけは、20年以上前にさかのぼります。
 家族4人でココイチのカレーを食べに行ったときのこと。まだ小さかったお子様が絵本を持参してお店に行ったところ、絵本を店内に置き忘れてしまったそうです。
 車で出ようとしたところへ、お店の方が「すみません、気が付きませんでした」と言って走ってきてくれたそうです。関根社長は、忘れたのは自分たちなのに、お店の方が「すみません」と言って走ってきてくれたことにビックリ仰天。その後、アンケートハガキを送ったところ、しばらくして宗次様から「皆様の声に支えられて今があります」という言葉とお食事券の入ったお手紙が届いたとのこと。それ以来カレーハウスCoCo壱番屋 (以降ココイチ) のお店を出かける先で意識して入るようになると、どこに行ってもカレーが美味しいのはもちろん、挨拶もよければ、トイレもお店も清掃が行き届いてキレイだったそうです。そこで、関根社長が思い切って新日本ビルサービスの「さわやか講演会」にお招きし、ご登壇いただいたのが平成17年10月1日です。それ以来本当にありがたいお付き合いを継続させていただいていております。
 今回は「会社は掃除と挨拶で蘇る」をテーマに、ありのままにお話しいただきました。

人生は自己責任

 今日(1月17日)は創業の日です。
 1978年の今日が、わずか月商70万円の1号店がオープンした日です。
 私の場合は徹底して、行き当たりばったりでやってきたのですが、その代わり誰にも負けないぐらい「超」がつくほどのお客様第一主義、そして現場第一主義で、その時その時を全力でやってきました。25歳で飲食に出会い、ココイチを29歳で立ち上げ、その創業が今日です。とてもやっていけないような数字でしたが、月商150万円になったら2号店を出そうと夫婦で目標にして、翌年には2、3、4号店を出して、それ以後ずっと目標をクリアし続けています。ラッキーだと言えなくはないですね。
 仕事って経営も含めてつらい時や身が入らない時、怠けたり休んだりしたい時… 色々ありますよね。でも通して思うと、自分が頑張った分だけお客様に喜ばれ、結果、会社とも徐々に取引と信頼の輪が広がり、やがて会社も増収増益に成り立っていく。

 増収増益になれば、自分に戻ってくるわけですから。それによって家族も喜んでくれて、自分の人生設計、ライフプランがちゃんとしたものが、45歳ではこう、50、60、70、引退後はこうありたいというプランが描けますよね。
 不幸はいつやってくるか分かりませんから。
 能登の地震にしてもコロナにしても、突然仕事を奪われて、売上金が入ってこないような事態になるんですから。誰も予想だにしなかったことが現実に起こるわけです。
 要は万が一の時にまさかに備えた生活、経営、仕事… これをやることが自己責任なんです。
 人生そのものは自分で何かあったら対応できるように、家族がこまらないように、自分自身が希望を捨てることがないように、また希望を失ったりすることがないように、日ごろから元気で明るく前向きに目標を追い続けたいですね。

夢を持つな!目標を持て!

 目標って本当に大事です。
 今年の正月に立てた目標を忘れている人、沢山いるでしょうね。
 手帳に書く、便所に貼る、寝室のベッドの天井に貼る、家族や上司、恋人にも言って、「もう簡単には諦められないぞ」「みんながこの目標を知っているんだ」そうやって自分を追い込んで、何としてでも必達するんです。
 目標は必達するのが前提で、掲げるだけでは絵にかいた餅で終わってしまいますから。
 周りからは「本気で言っているの?」って思われそうですが、実際に全てがうまくいって壱番屋も増収増益の目標を達成しました。そこで経営が面白いと思いましたね。
 その代わりに誰よりも早く会社に行きました。一番乗りを目指しました。
 自分が一番に出社して社員さんを迎え、自分の車を手洗いしたり、入り口にプランターで花を育てたりと… 私はそういうやり方をずっと今も貫いています。
 一番遅い日でも3時55分に起きて、音楽ホールの6階の住まいから5分で下におりて4時ちょうどには出社しています。
 仕事が面白いから、旅行やゴルフ、ギャンブルなんかには一切興味がありません。

元祖草食男子の極貧生活

 私は1948年に能登半島の宇出津町で生まれているんです。
 母は未婚の母親で私生児を若くして産んでいます。もう育てることができないからと、軒下に置いたままにする人もいますが、母は出生届を出しておいてくれました。
 赤ちゃんポストに預ける人はまだいいのですが、それでも戸籍は不明ですよね。悩みに悩んでこの日本に1か所しかない赤ちゃんポストに預ける例は今でもあるようです。花で飾られたインターフォンがあり、観音扉を開けるとゆりかごがあって、そこに赤ちゃんを置いて戸を閉めると、親子の縁が完全に途絶えるんです。
 私は人間に生まれただけ、幸せな人生。その上、出生届まで出してくれて、戸籍まであるっていうのは本当にラッキーなことだと感謝しています。
 コロナの前に一度自分の出生届に書いてある出生地を訪ねました。今でも家が存在していましたが、いまさら「兄弟があそこにいますよ」とかそんな風になると、ややこしいし、面倒臭いですから誰も訪ねず写真だけ納めて帰ってきました。
 実際、宇出津町で生まれたのかどうかは分かりませんが、そこで生まれた直後に兵庫県尼崎市の孤児院に入れられたのです。
 私は血縁者が一人もいない人生です。あえて言うなら一人息子がいて、孫が三人いますが、それだけが血縁者で、本当に天涯孤独で、中学卒業まではろうそくの生活でした。
 3歳の時、尼崎で雑貨商をやっていた宗次姓の養父母が施設へ来て、孤児たちの中で一番、ダントツで可愛かった(笑) 私が引き取られました。しかし、ギャンブル (競輪) に明け暮れた養父の営む雑貨商は倒産し、夜逃げ同然で岡山に。そこでもギャンブル通いはおさまらず養母は、家を出ていきました。
 乱暴な養父との生活では唯一の家具がリンゴ箱一つ。家賃を入れられないからあちこちを転々としました。父は日雇いの仕事で300円もらうと200円は競輪です。
 私も日曜日に連れていかれて、地面に落ちている券から「当たりを探せ」と言われましたね。一枚も見つけることはできませんでした。
 父と二人の生活は、土間の上にござを敷いて、薄い布団を敷いて寝ていましたし、お腹がすいたら自分でメリケン粉を練って塩味で焼いて食べたり、食用の草や柿の実やイチジク、ビワ、キンカンなどの果物を「いいですか?」と聞いて食べていました。中学3年を終える頃に父に胃がんが見つかって入院すると同時に母との生活が始まって、2000円の6畳一間、共同トイレ、流し台のあるバラック建てのアパートに引っ越しました。中古のテレビが置かれたのも、高校に入る間際です。
 高校は行くつもりはなかったんですが、受かってしまって行くことにしました。
 そして、入学書類で戸籍謄本を出した時に、15歳で初めて自分の誕生日、名前、親が違うことを知って、もう誰も頼れないし、誰にも相談しないと思いましたね。

一番の幸せは経営がうまくいくこと

 私が生まれながらにして歩んだ、人と全く違うような人生は、全て商売や経営者になって生かされました。商売を初めてからも、コンサルタントの先生は一人もいません。素人流で現場主義の中から明日の経営ヒントは現場で見つけ出してきました。
 人のために細かいことまでしてあげて、喜んでもらえると「休みなんかいらない」「経営者なんだから仕事がうまくいくのが一番楽しい、幸せなこと」と思います。
 ゴルフや映画、旅行… 楽しいことはいっぱいあるけど、その間も会社も店も動いていることを思うと、自分の欲求を満たすために時間も体もそこに費やすことは私には理解できないことですし。
 仕事は任せないと育たないとか、ゴルフをやることで交流ができるとか色々聞かされますが、私はそんなことより、経営・仕事・現場でお客様の表情をみて「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を自分でお声掛けしたいのです。
 毎朝6時から8時ぐらいまで街の掃除をしていると、眠そうでダルそうなOLさんやサラリーマンが無表情で通勤しいきます。
 私は無表情のままが許せないですね。「ありがとう」や、「おはようございます」を無表情で言うって。ココイチ時代はそんなことばかりでした。

落ち葉との闘い!銀杏の葉と同じ黄色がトレードマークの宗次様。

日本一の変人経営者

 日本一といったら、御社の社内報の中にある関根社長の笑顔の数は日本一ですね。1ページも抜かさず読みたくなります。日本一の社内報ですよ。
 でも、私は「日本一が一番多い」日本一です。
 ほぼ365日、3時55分までに起床して「街の花の管理と掃除は日本一」。休日はほぼゼロで平均して2時間はやっています。
 それから、「クラッシクコンサートの鑑賞回数日本一」。昨年の大晦日は東京文化会館大ホールでベートーベン1番から9番の交響曲を、休憩を4、5回挟んで8時間ぐらい。その日のうちに帰りたいので3番の英雄から7番まで聴きました。
 「講演会・講師の回数日本一」ただし三流経営者の部。わきまえてます(笑)。
 友人の数の少なさも日本一。私は友人ゼロ。友人でも優れた人の「優人」、友の人の「友人」遊ぶ人の「遊人」字がちょっと違って、全然違いますから。社員も人財、人材、人罪。例えば笑顔ができない、汚れていても平気、草が入り口に生えていても平気。気づくのは経営者や経営幹部。これは、必ずやる人、いえばやる人、全くやらない人、2割、6割、2割です。Aランク、Bランク、Cランクです。
 友人もまさにそうで20人いるうちの本当の友人・親友は4人… 4人もいないですね。
 人生にとってプラスになる人って2割でしょうね。
 物事はなんでもプラス・マイナスですから、マイナスが多いなら理屈から言ってもやらないほうがいいですよね。ゴルフも健康的で、営業にも結びついたり、人脈ができたりするかもしれないけど、時間・体力・お金を使ってうまくなっても誰も喜んでくれない自己満足。
 私はとにかく変わってますから、これは私の理屈です。

 でも、引退して思いますが、2割の人財は宝です。10人に2人そういうい人がいてくれたから、会社は右肩上がりになりました。それ以外の人は給料分だけは責任を持ってやりますが、それ以上は当てにしないでくださいよと言わんばかりの人です。
 根拠はないですが「本気で社長に付いていきます」「将来、幹部を目指します」という人は10人に2人いてくれれば会社は伸びると思います。
 「変人日本一」。変態じゃないですよ。変人です。友人がいなくても平気ですが、古くからの顔みしりの方とかと「食事しましょうよ」とお誘いして、食事はいろいろな方と行きますよ。
 私の趣味はやっぱり仕事ですね。音楽は今では趣味ではなく実務、仕事になってます。

素晴らしい三つの出逢い

 クラスメイトからナショナルの定価1万2800円のポータブルテープレコーダーを5000円で買わないかと声をかけられて、誰からも手があがらなくて、1000円の5回払いなら買いたいといって譲り受けました。
 部活が終わって8時過ぎに帰り、早速歌謡曲を録音したかったのですが、唯一の音楽番組が当時のNHK教育テレビで、NHK交響楽団の番組をやっていて、それを吹き込んだんです。ただガチャガチャ停止ボタンを押したり、早送り、巻き戻ししたりすることが幸せでした。翌朝目が覚めて流れてきたクラッシクが見事に琴線に触れました。
 クラシックに縁がなかった私が、どういうことか分かりませんけど、メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトホ短調が流れて来たとき、もう見事に琴線に触れました。
 それから7月20日の終業式の日までは毎日必ず全曲聴いて学校に行きました。
 田舎の学校で、学校中にもクラシックファンなんていないのにクラシックに出会えたんです。
 ココイチ時代は完全にパーフェクトにクラシックを遮断していましたが、今はクラシック音楽専用の「宗次ホール」を設立して、いろんな音楽家さんと会ったり、曲を聴いたりして、いい人がいたら仕事につなげています。人生でも物事や人との素晴らしい出会いは誰にでもありますよね。
 私の中でクラシック音楽に出会えたことはトップ3に入ります。あと喫茶店=カレーに出会えたこと、そして人との出会いではもちろんダントツでうちの奥さんと出会えたこと。私をここまで導いてくれました。
 結婚して30周年の時に「ママ、今日は結婚記念日だよ。30周年」と言ったら「あんたとはもう、青森と山形の間よ」と言われました。「秋田 (飽きた)」って (笑)。
 今、もう50年経ちましたけど、今がお互い干渉しあわなくて一番いいです。
 今では奥さんのために、毎日せっせとグレープフルーツジュースを絞ってます。グレープフルーツも値段が倍になりましたが、カップ麺なんかも以前は特価だと110円前後で売っていたのが、今では160円~170円です。

宗次様のユーモアに溢れたお話に聴き入ります。

お客様は笑顔で迎え、心で拍手

 私は標語を沢山書いています。日本一の標語も実は私です。自画自賛ですが。
 25歳で素人で喫茶店を始めた時、「モーニングサービスは一切しません」と宣言して、おつまみも別で30円というやり方で… 周りにはそんなお店1軒も無かったです。
 でもそれを貫いて、笑顔で溢れた店にしたいと始めました。
 案の定「名古屋なのに、コーヒーに厚切りトースト、ゆで卵が付かないのはあなたの店だけですよ」って。
 よく分かってましたが、それよりも「真心を込めた接客で行きたい」というのが私と奥さん二人の共通の思いでした。ですから入り口にお客様が見えたとたんに嬉しくて拍手するんです。「ようこそ」って。
 そのことを半年後標語にしました。
「お客様笑顔で迎え、心で拍手」心の中で、お一人、お一人、拍手喝采でお迎えしよう…それが今に つながっています。
 今も音楽ホールの前に木枯らしが吹きつけようが、暑かろうが、寒かろうが、体調が少々だるいときでも、いらっしゃいませ・ありがとうございます・こんにちは・ようこそ・お久しぶりですってお声掛けしています。
 これは25歳で喫茶店を始めた時からずっと変わりません。
 これをするとお客様が評価してくれるから始めたことではなく、そうしないではいられないから始めたことです。
「それは若い頃によくやったけど、今はやる必要ない」なんて思えないことで、心から染み付いたことです。私はやる以上はそうしたいなって思います。
 今でも東京から美容院のチェーンをやっている方が「サインしてください」って本を持ってやってきます。7,8店舗を東京でやっている若くていい男です。
 あまりにもアイドルのような人が経営者となり、ちょっと成功するとパーティの連続で、経営のほうがおろそかになる。そういう例も少ないわけではないですから、モテない方がいいのかなというのが私の結論です。

人も会社も掃除で蘇る

 あるオーナーさんの店で売上がちょっと落ちる月が目立つようになったんです。
 すると他社みたいにセットメニューや低価格を考えてくださいと、古いオーナーさんでも真顔で私にそういうことを言ってきました。でも、私は一度もそんなこと議題に挙げたことないですから。だからココイチは値下げをしたことがないチェーンで、珍しいんです。
 みんなお客様に喜んでいただくために利益を削って。ほとんどが安売りショー。ライバルを蹴落とすために、ライバルからお客様を戻すために安売りをやるんです。
 でも私たちは喫茶店の時もモーニングサービスはしないし、29歳ではじめたココイチも安売り商法はしないで、適正価格、適正利潤をいただいてお店を繁盛させたいという目標がありました。1年半後ぐらいに10号店ができ、30、50、70、100、150と順番に上げていったから、だんだん大きくなったんです。
 その間に有能な社員も2割は必ずいてくれる。まだちょっと早いかなと思う人でも片目をつぶって、いいチャンスだと思って頑張りなさいとオーナーとして送り出すこともできました。時にはお客様にもご迷惑をかけますけど、そうやって鍛えてもらいながらみんなが成長する。
 だから、他社みたいなセットメニューや低価格を求めたオーナーには「掃除しなさい。掃き清めるようにしなさい。街中だったらオーナー自らが向こう3軒まで一日何回もしなさい」そう言って帰ってもらいました。

 その時にできたのが「人も会社も掃除で蘇る」という言葉です。
 食堂業をやるんですから、美味しかった、接客が良かった、店がきれいだったなんてことは当たり前です。そりよりも、悔しい思いをぶつけて来られた時には、それは全て価値がありました。クレーム、苦言など、聞いても教えてくれないようなことをハガキだと書き連ね、この続きは手紙にしますと言われたら、それはもう宝です。
 たた、掃除で褒めていただくのは無条件で嬉しいけど、いくら呼びかけても2・6・2です。社長、本部がそこまで言うならやりますが2割、巡回でスーパイザーが来たときにうるさいからやるが6割、あとの2割は言い訳を並べて何言ってもやりません。
 直営店を4号店まて出店していた時、まだチェーン店になる前の卵の時です。4軒の店長に店長会議を前にして、モットーを考えて、次の会議で発表してほしいといいましたが、案の定これといったものがない。
 そして私が心の中で「これで行く」って決めてあった「ニコニコ、キビキビ、ハキハキ」で行くことにしました。語呂もいいですしね。
 「ニコニコ、いつも笑顔でお客さまに接します。キビキビ、いつも機敏な動作でお客さまに接します。ハキハキ、いつもさわやかな態度でお客様に接します」
 繁盛させるには、原点は、基本は接客。盛りがいいとか、映えるだとか、価格が安い、値打ち感があるとか、そんなことよりも、まず根底には基本は接客。私たちは接客で評価を受けて、接客サービスにおいても、地域一番店を目指しました。もちろん接客だけじゃなくて、売上も利益も全てが大事です。
 出来立てを熱いお皿に盛り付けて「お待たせいたしました」で提供する、福神漬けを寄せて、ふたをとって差し上げるとか、そんな配慮に気を付けながらやったのが良かったですね。いまでも「ニコ・キビ・ハキ」の印刷物が全店貼ってあります。
 53歳、2002年まではココイチ全体のモットーでしたが三代目の社長にバトンを渡すと、新社長はすぐに社是にしてくれました。だから20 何年これが社是です。
 ココイチの「ニコ・キビ・ハキ」って結構使わせてくださいっていう会社さん多いんですよ。
 その元を作ったのは、私です。
 これだけじゃないです。ココイチのフランチャイズとしての仕組み、ブルームシステム (独立制度)、全部私です。
 私、お山の大将です。

宗次様のご講話、中村様の接遇研修、ありがとうございました! !みんなの笑顔が溢れます。

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