2024年8月2日㈮ 株式会社ピルポ CEO 稲垣 太一 様 弓道に打ち込んだ中高時代と入院生活で掴んだ人生観 私は名古屋生まれ、名古屋育ちの生粋の名古屋っ子です。地元は名古屋の覚王山というところです。 地元の小学校に…
WAVE第152号
発行:リタネッツ事業協同組合 2011年12月28日
【我社の人育て、人づくり、ものづくり】前編
~飲食店の経営をしてみたいと考え、大学卒業後は、大手スーパーの食品部門へ~
リタネッツ:先ずは関根社長のことを伺いたいと思います。この会社を始める前は、社長はどんなお仕事をしていたのですか? 関根社長:学校を卒業後、イトーヨーカドーに就職しました。精肉売り場で、「いらっしゃいませ~、いらっしゃいませ~♪」ってマイクを持ってお肉を売っていました。
リタネッツ:現在の仕事とは違っていますが、そもそもなぜスーパーの精肉売り場へ?
関根社長:食べ物が好きだったんですよ。おいしいものや良いお店の雰囲気って幸せを感じるでしょ。実は、飲食店をやってみたかったんですよね。サービスも味も良いというお店はそんなにないから、自分でやってみたいと思っていたんです。夫婦二人なら成功するだろうなと思ってた。でも僕の性格だと、それじゃ面白くない。チェーン店でやってみたかった。それでヨーカドーならたくさん勉強できるだろうって考えましてね。食品部に希望を出したら精肉部に配属されたんです。肉を切るよりも売る方が好きでしたね。フーテンの寅さんのテープで話し方を研究してね、店長に全店放送で呼び込みやらせてくれってお願いしたんですよ。お店初のことでした。いつも、どうしたら売れるか、そればかり考えていましたね。
~入社3年目で、親父の経営する会社へ突然、新支店の立ち上げを命じられる~
リタネッツ:それでは、いつ、どんなキッカケで今の事業に入ったのですか?
関根社長:イトーヨーカドーでは入社2年で同期の中で一番にチーフになったんですよ。でも、3年目に入った頃、親父に突然「(家業に)帰ってこい!」って言われたのがキッカケです。親父は昭和25年にクリーニング店を創業し、新日本グループの元となる株式会社武蔵屋の経営者でした。私は会社に戻る前に岐阜県の㈱トーカイ(リネンサプライの東証一部上場企業)に修業に出されました。1年間、飛び込み営業をひたすらやりましたねぇ・・・。それで、26歳の時に、また親父が「戻って来い!」って言うので、関係会社の新日本セシオという玄関マットやモップのレンタルをやっている会社に入ることになりました。
そこで親父から、「宇都宮に支店を作って来い」って言われたんです。事務所だけ借りてあって、従業員もお客様もゼロからのスタートでした。とにかくいつも突然でしたね(笑)。
先ずは、事務所だけあっても一人では営業できないので、新聞に求人折込を入れました。その時に後に当社で「営業の神様」と言われるようになる吉野秀夫さんが入社したんです。2人でとにかく毎日飛び込みで営業をしました。
「ドアツードア」って言ってどの会社もお店もとばさないで、一軒ずつ訪問していこうって決めて回りました。玄関マットやモップは既に他社が入っていることが多いので、トイレの芳香剤のモニターをとっていくという作戦にしました。1日10軒獲得するまで帰らないと決めてやりました。芳香剤のモニターは、先ず1週間使ってみてくださいと言ってお客様の所に商品を置いてきます。
そうすると大体5割~7割くらいは成約になりました。
そうして、1年目で2000軒くらいのお客様を開拓しました。
2年間頑張り、宇都宮から本社に戻りました。
~強烈に父親に反発した専務時代、今、思えば親父の言ったことは99%合っている~
リタネッツ:お父様はとても勢いのある方だったようですが、本社に戻ってからは、お父様と意見がぶつかったりすることはなかったのですか?
関根社長:僕は2代目で、親父は25歳の時にゼロから創業したでしょ。親父と僕とでは、人の面でもお金の面でも苦労の度合いが全く違うんです。僕は経営の本も読んでいたし、青年会議所にも入って勉強もしていたから、頭でっかちになっていました。親父から見れば生意気に見えていたはず。だから、当然、役員会議でも親父とぶつかる。「ムダ金使うな!生きた金使え!」、「親にだって感謝の気持ちを持て!」、「報告が足りない!」って物が飛んで来ることもありました。
リタネッツ:今、社長になられて約20年、お父様の言っていたことを振り返ると、どう思いますか?
関根社長:あの頃、強烈に反発していたけど、親父の言ったことは99%合っていると思いますよ(笑)。
~新日本ビルサービス設立、初めて資金繰りの大変さを知る~
リタネッツ:では、新日本ビルサービスの社長にはどのような経緯でなったのですか?
関根社長:これもまた親父に「そんなに生意気言うなら、自分でやってみろ!」って言われたんです。恐らく、このまま後を継がせたら大変なことになると思っていたのではないでしょうか。
リタネッツ:いよいよ新日本ビルサービスのスタートですね、どんな風だったのですか?
関根社長:まず、もとの会社から社員を3人選んで、資本金2000万円で始めました。これから、埼玉にはビルが増えていくだろうから、お客様は増やせるだろうと、絶対成功すると考えていた。ただね、始めてみると固定費が月額350万円かかるんです。事務員は雇えない、交際費も使えない、新聞も取れない、赤字続きで借金はないけど、資本金の2000万円がみるみる減っていくんです。資金繰りって厳しいもんだなって思いました。そこから必死の営業で、1年目に150万の黒字が出て、それから5期くらいまでは見事に売上・利益が伸びていったんです。専務の頃の緊迫感と全く違っていましたね。
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